旧暦年頭所感2016年02月12日 07時04分26秒

例年お正月には今年どうするぞっ、という心構えのようなものを書くのですが、今年は書きませんでした。

ただ、いただいた方にのみ差し上げた年賀状に、今年はワーグナーの年になりそうだ、と記しました。ワーグナーの、私的入門書を執筆するという話が持ち上がっていたからです。

ただそうすると、宿願の《ヨハネ受難曲》論がさらに先送りされそう。できれば平行してやりたい、でもその余裕はないだろうなあ、というのが、今年の問題点でした。

芸大で《ヨハネ》ゼミをやったのが、もう3年前です。その時もすでに、平行して執筆するつもりでした。しかしその後仕事が増え、ここのところはモーツァルトに注力していましたので、《ヨハネ》はずっと先送り。このままでは、人生の終わりと競争になってしまう、という危機感が芽生えていました。

ところが一連の経緯がありまして、出版の具体的な目星をつけることができ、ワーグナーを先送りすることに決めました。ですので今年は、バッハの年、《ヨハネ受難曲》の年になると訂正します。

昨日、その福音書論に1日取り組みました。やっとホームグラウンドに戻ってきたようなすがすがしさを感じています。

2月のイベント2016年02月09日 08時35分47秒

今頃のご案内ですみません。今月の私のスケジュールは視察が多く、東京を離れることもしばしばです。7日の日曜日は郡山に行き、「第1回オーケストラ・フェスティバル」なるイベントに出席しました(サントリー芸術財団・復興祈念賞のからみ)。小学校のオーケストラが6つ登場し、うち2つにコントラバスが5本並んでいたのに驚嘆。弦楽器育成の本気度を実感しました。

このところ不定期開催になっている朝日横浜校のモーツァルト講座、今月は13日(土)です。フリーメーソン・カンタータK.623をやってから《レクイエム》に入りますが、少し時間をかけて取り組むつもりです。

朝日新宿の方は隔週ですので、3日にすでに開催。17日(水)は、午前中のワーグナー講座が《パルジファル》の第2幕その1。バッハのリレー演奏講座が《3つのチェンバロのための協奏曲》です。もちろん、もろもろの復元を含めて扱います。

20日(土)は立川楽しいクラシックの会(たのくら)で、こちらは珍しく定時開催。「オペラの歴史」、グルックを終えましたのでモーツァルトに入ります。あれこれやっていると何年もかかってしまうので、《魔笛》一作に絞り、その代わりゆっくりやることにしました。

月末に、コンサートが2つ。いずみホールのモーツァルト・シリーズは、27日(土)に《レクイエム》で終了になります。前座は《小ト短調》交響曲。オーケストラはバーメルト指揮の大フィル、ウィーン楽友協会合唱団が来演するため、ソリストもそれにふさわしい布陣としました。詳細はこちらをご覧ください。http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=942

28日(日)は、すざかバッハの会。例年12月にやっているコンサートが、今年度は2月開催になりました。11月に立川で好評だった「若さはつらつ!オペラの愉しみ」をベースにした企画ですが、後半の《タンホイザー》ハイライトにエリーザベトの〈殿堂のアリア〉が入り、いっそう充実しました。前半はヘンデルとモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の抜粋。出演は山口清子(ソプラノ)、近藤圭(バリトン)、久元祐子(ピアノ)の3人です。

今年は閏年なんですね。1日あると違います。

軽やかな一日2016年02月06日 08時00分41秒

寒かった3日(水)は、朝日カルチャーを終えた後、水戸芸術館へ。遠方の往復は辛いなあとも思うのですが、私の根っこに、久しぶりの町を歩きたいという気持ちと、何かおいしいものを食べたいという気持ちがあります。

でもそううまくはいきません。ぎりぎりの到着となり、ラーメンを5分で食べて(待ち時間10分)、19時ぴったり走り込むことに。コンサートはロレンツォ・ギエルミ氏のオルガン・リサイタルで、私が解説を書きました。

ここのオルガンはエントランスホールにしつらえられており、客席からはオルガニストの演奏ぶりを、至近距離から見ることができます。響きもいいですが、細部まで手に取るように聞こえるので、オルガニストはたいへんかもしれません。

ギエルミ氏は絶好調。卓越したテクニックが冴え渡りました。明るくノリがよく、軽妙でさえあるオルガンです。ヴィヴァルディ=バッハのコンチェルトなど、彼の独壇場。会場もぎっしり埋まっており、私に声をかけてくださる方もおられました。

行き帰りに、駅で買った小川洋子さんの『ことり』という小説を読みました。小鳥を愛する兄弟の話が、淡々と綴られている本。え、これで1冊いくのかなといぶかしみながら読み始めましたが、まもなく呪縛され、視界がにじんで読めなくなることもしばしば。初めて読むタイプの小説で、心が清められました。

今月はヘンデル三昧で2016年02月04日 22時50分09秒

今月の「古楽の楽しみ」、再放送よりは新しい企画をということで、オール・ヘンデルを作りました。 op.3のコンチェルト・グロッソを聴き進めながらいろいろな作品を混ぜていく、という趣向です。当初器楽曲のみと考えていましたが、結局、声楽曲もいくつか入りました。にぎやかな朝になります。

2月8日(月)は、 op.3-1変ロ長調から出発します。ターフェルムジークの活発な演奏で。次がユトレヒト・テデウム。イギリスにおけるヘンデルの地歩を固めた作品です。これはプレストン~エンシェントを使いました。最後はオルガン・コンチェルト op.4-4です。来日中のギエルミの演奏です。

9日(火)は、 op.3-2変ロ長調から。演奏はモルテンセン~EUバロック・オーケストラの新録音です。次に、《ユトレヒト・テデウム》の姉妹作、《ユトレヒト・ユビラーテ》。演奏は同じくプレストンにしました。次に op.3-3ト長調を、ホグウッド~ヘンデル&ハイドン・ソサエティで。最後を、アランのオルガンとフライブルク・バロック・オーケストラの演奏するオルガン協奏曲 op.4-2で締めました。

10日(水)は、 まずヘ長調op.3-4をピノックで。ピノックの演奏は、やはり一番安心して聴けますね。生き生きして、品格があります。次に、ピノック編の《パッサカリア、ジーグとメヌエット》。これはトリオ・ソナタからの編曲なのですが、とてもいい曲です。彼の《王宮の花火の音楽》のCDに入っています。

次に同じくピノックで、協奏曲ヘ長調HWV331(演奏は間に op.3-5のアダージョを挿入)。「古楽の楽しみ」のテーマソングは《水上の音楽》と認識されていると思いますが、じつはこのHWV331、パロディ作品なのです。次にニ短調 op.3-5を若き日のアーノンクールで聴き(ちょっと作りすぎのような)、《戴冠式アンセム》の〈あなたの御手が強められ〉で結びます。演奏はモルテンセン。

11日(木)は、残るニ長調 op.3-6を、ミンコフスキの元気のいい演奏で。オーボエ協奏曲ト短調(ピノック)、協奏曲《アレクサンダーの饗宴》(ベルリン古楽アカデミー)、ハープ協奏曲(ローレンス=キング)と進み、締めは〈シバの女王の登場〉(ピノック)にしました。この日のみ、オール器楽となりました。

ヘンデルの音楽は、とにかくにぎやか。スピーカーから飛び出そうなそのエネルギーを浴びて、元気を出していただければと思います。

即興の不思議2016年02月02日 08時13分54秒

(承前)コンサートでトークをするさいには必ずゲネプロを通体験するようにしています。それによって、コンサートの一部になれる。しかしこの日(1月30日)は、メールでやりとりしただけのぶっつけになりました。それでも成立するのは、出演者が親友の加藤昌則さんだから。当日のテーマは「即興」でした。

まず、バッハの即興演奏を書き留めたとされている〈3声リチェルカーレ〉(《音楽の捧げもの》)を、加藤さんがピアノ演奏。さっそくインタビューしましたが、作曲家には、どんなところに即興の痕跡があるかがわかるようです。

続いて、加藤さんの即興演奏。ドレミファソラシドからの3つの音をお客様が指定し、明るい曲か暗い曲かを選択するのが加藤流です。客席から出たテーマは、「ソレラ」。明るい曲、ということで演奏が始まりました。

与えられた条件のもと、技巧的で完成度の高い曲がたちどころにできあがる加藤さんの即興に、何度か立ち会ってきました。卓越した和声理解に基づくロマン派的なピアノ曲になるだろう、というのが、私の予測。ところがこの日弾き出されたのは、バッハ的なポリフォニーでした。こっちの方がよほどむずかしいと思うので、あらためて彼の能力に驚嘆。暗い曲も作ってみましょう、ということで、こちらはロマン派風に。「ソレラ」から暗い曲というのは、私は思いつきません。すごいですね。

次に、即興をめぐる対談。どこまで最初にイメージを固め、どこまでリアルタイムの作業になるのかを中心に、企業秘密(?)を伺いました。われわれが言葉でする作業を音楽家は音でする、と考えると、当たらずとも遠からずのようです。

最後に、加藤さんイチオシのサックス奏者、住谷美帆さんが登場。加藤さんのオリジナル作品--哀愁漂う《蘇州揺籃曲》と華麗な《スロヴァキアン・ラプソディ》--を盛り上げました。藝大2年生だそうですが大物のカリスマ性十分で、まこと、堂々たる演奏でした。


先立つ27日(水)には、大学の仕事を卒業された小林一男さんが、久元祐子さんのピアノで、テノールの美声を披露されました。小さな場で申し訳ないと思いつつお願いしましたが、入念に準備してくださり、気迫が曲ごとに高まる、すばらしいステージ。朝日カルチャーセンター新宿校のレクチャーコンサートも、よき場として大事にしていきたいと思います。

失踪する私2016年01月31日 10時14分07秒

30日(土)は、名古屋で起床。前夜は大阪だったのですが、大雪情報がありましたので、名古屋まで戻って宿泊しました。杞憂に終わり、横浜へ。財布が空になっていることをうっかりして昼食に入ってしまいましたが、鞄を探すと500円玉が2つあり、事なきを得ました(ギリギリで危険回避>ダヴィデヒデさん)。

朝日横浜のモーツァルト講座は、いま一番人数が多く、熱気もあるカルチャー講座です。入っていくと、妙に緊張した雰囲気。それは、私がこの日ダブルブッキングで、15時講座終了、16時新宿校でレクチャーコンサート開始、という予定になっていることを皆さんがご存じで、心配しておられるのだとわかりました。私がきりっとした口調で「走ります!」と言うと、走ってはいけません、と皆さん。なぜそうおっしゃるのでしょう。

講座は、前回までやっていた《魔笛》の補遺から。最後に使ったシュタイン指揮の映画版(1971年)がすばらしいということで、いくつかのシーンを補いました。これ、本当にいいですね。ゲッダ、ドイテコム、ゾーティンといった名歌手が朗々と歌い、フィッシャー=ディースカウの弁者は感動もの、エディット・マティス(パミーナ)の美しさは、こわいぐらいです。

続いてクラリネット協奏曲を扱いました。この曲は本来シュタードラーのバセットクラリネットのために書かれたもので、新モーツァルト全集には、失われたオリジナルが復元されています。どの演奏があるかなと手持ちのCDを見直していたら、ザビーネ・マイヤーがアバド指揮のベルリン・フィルと競演しているものが、この稿を見事に演奏していることに気づきました(明記されていない)。普通のクラリネット用に編集した稿と比較すると(当日はシュミードルを使用)、低音域の広々と使われていることが、どのぐらい音楽を豊かにしているかがわかります。もっと広まれ、バセットクラリネット!です。

時間ちょうどまで講座をやり、15:16の湘南新宿ラインに乗って、定時に新宿に到着しました。15:48、残り12分です。到着したホームは駅の南東端なので、北西端の出口に行くまでが、かなりの距離。そこから住友ビル7Fまでの道のりを快走し、無事、16:00の1分前に、会場に着くことができました。当日この時刻に新宿駅西口周辺にいらした方は、颯爽と走る私の姿をご覧になったことでしょう。長くなりましたので、面白かったレクチャーコンサートの話は、次話で。

【付記】タイトル、「疾走する私」と打ったつもりが、変換違いになっていることに気づきました。どうやらATOKが「疾走」という形容を拒否したようなので、このままにしておきます。


終わる授業、続く授業2016年01月27日 09時15分00秒

学年末になり、授業が一つ一つ、終わっていきます。

21日(木)に、國學院の最終授業。後期はバッハを取り上げていましたが、《ロ短調ミサ曲》で締めくくりました。ハイテク装備の大学で、使い方さえ心得ていれば(ちょっとハードル)、スムーズに授業を進めることができました。いつも一番前で聴講してくださっている年長の方が、須坂の出身というのにはびっくりしました。

25日(月)に、聖心女子大の最終授業。今年度は「聖母マリアの音楽史」という、この大学にぴったりと思われるテーマを選んでおり、最後はメシアンとペルト。思った以上にテーマに関心を寄せる学生が多く、毎回の質問(出席票の裏に書く)が充実していました。

来年度が最後の年になるのですが、シラバスを書く(=授業内容を確定させる)のは今です。切り札を1年早く切ってしまったので、困りました。こういう時はホームグラウンドに戻るのが上策ということで、「受難音楽の歴史」に決定。各回のテーマも決めて、ネットで公表しました。いまは多くの大学が、こういうシステムをとるようになっています。

ICUは、第3学期の担当なので、まだ進行中です。昨日(26日)は、《ロ短調ミサ曲》の〈アニュス・デイ〉と昇天祭カンタータのアルト・アリアとのパロディ関係の実際を、丹念に楽譜を見比べて調べ、そこにある意図を考える授業でした。少人数だからできることです。

その後飲み会を予定していたので、好きなお店の一つ、国分寺の「ヴァン・パッション」へ。資金補充のために混雑する武蔵境駅構内のATMで、まとまったお金を下ろしました。先にホームに上がったところ、まだ全員揃っておらず、お金を下ろしている学生がいる、という知らせが。電車が来たので、下ろさなくたっていいのにと思いつつ、一台見送りました。

すると女子学生が、手に札束をもって上がってきました。これがATMに残されていたが、先生のものではないか、というのです。あっと思って調べると、財布は空っぽ。カードを取り、現金を取り忘れていたのでした。

その学生は、下ろすかどうか迷ったのだそうです。学生が下ろさなかったとしたら、また別の人が次に入り、私が気がつかないままだったら・・・、と考えると、一騒ぎになるところでした。危ない、危ない。

かつてなく優秀な学生たちと、楽しく飲食。少人数の授業は、こうして親しくなると、とてもやりやすくなります。内の一人は今日卒論提出したばかりとリラックスしていましたが、明日が卒論提出だ、という剛の者が一人(汗)。あれだけ飲んで、どうなったでしょうね。

〔付記〕こう書くと、そういう学生を飲みに連れて行くのは先生としてどうなんだ、と言われそうですね。もう完成していてあとは印刷だけ、という自己申告により、参加を受け容れました。

今月のCD2016年01月24日 08時41分43秒

今月は、久元祐子さんの「優雅なるモーツァルト」(コジマ録音)を推薦しました。いつも競演している方なので近距離から推薦するのはどうかなと思い、かなり考えましたが、本当にいいものを推薦するのを遠慮する必要はないと割り切りました。ただ新聞記事は、字数の調整のためでしょうが少し手が入っていて、私の文章と異なります。ですので本来の文章を載せておきます。

歴史ピアノと現代ピアノを弾き比べて「優雅」を引き出す試み。トルコ行進曲付きのソナタにシュタイン、変ロ長調ソナタにはヴァルターの同時代モデルが使われ、それぞれベーゼンドルファーと併録されている。慈しむようなタッチで綴られた演奏は潤い豊かで目配りが行き届き、エキスパートの貫禄十分だ。シュタインの繊細な響きを明晰にとらえた録音もいい。新風を吹きこんだのは、渡邊孝らのアンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア。野の花のようなガルッピのトリオ・ソナタを、卓抜なコンセプトで面白く聴かせる(ALM)。

付け加えますと、新発見のイ長調ソナタ自筆譜の異同も聴き比べられるようになっており、楽譜もブックレットに掲載されています。変ロ長調ソナタというのはK.333です。

17日に久元さんのモーツァルト全曲ソナタ演奏会その1が、ブルーローズで開かれました。作品理解がすみずみまで行き届いた音楽的な演奏で、潤いにはじけ感も加わり、200番台のソナタを再認識。新聞で取り上げて間違いなかったと思いました。

朝日カルチャーのレクチャーコンサート2つ、今週です。どうぞよろしく。(水曜日 小林一男+久元祐子、土曜日 加藤昌則+住谷美帆)。

ヴォルフ著『モーツァルト 最後の4年』日本語版のWEBサイトはこちらです。  http://composed.webcrow.jp/

またすごい人が・・・2016年01月19日 13時13分27秒

16日(土)はいずみホールのバッハ・オルガン作品全曲演奏会。「美しきかな、コラール」と銘打った今回登場されたのは、アメリカを中心に活動されているドイツ人、ヴォルフガング・リュープザームさんでした(いろいろに発音されていますが、ご本人に伺ったところ、リューは短く伸ばし、ザーは長く伸ばすのがいい、とのことです)。

ずいぶん昔からレコードで名前を知っていましたが、これまでは接点がありませんでした。リハーサルに、蝶ネクタイの正装で登場されたのにまずびっくり。蝶ネクタイは肌身離さずのようで、本番には赤のシャツに蝶ネクタイ(!)で臨まれました。

とはいえ、奔放な方ではありません。このシリーズでは後半の始めにご本人にステージ・インタビューをする習わしになっているのですが(それを楽しみにされる方も多いようです)、リュープザームさんは、演奏に集中したいからとおっしゃって、インタビューを辞退されました。楽しみにされていたお客様、申し訳ありません。初来日で、かなり神経を使っておられたようなのです。

しかし演奏は、強靱そのものでした。聴衆からすればなじみのない曲の並んだプログラムなのに、リハーサルは楽譜を見ることなく、縦横に進められてゆきます。オルガンを歌わせることが肝要だとおっしゃる通り、ポリフォニーの諸声部が磨き上げられていて、完成度が高い。克明な造形の中から、主旋律が思わぬ響きで浮かび上がってきます。自由曲で掛留の和音がオルガノ・プレーノで連ねられてゆくところの威容は並びなく、圧倒されました。

終了後は、万雷の拍手。スタンディング・オーベーションをされたお客様がおられたのは、オルガンのシリーズでは珍しいことです。楽屋に駆けつけてみると、なんと安堵の涙を流されている。思わず抱き合ってしまいました。「当日は私にとって特別な体験となりました。楽器によって『語る』という、いつもはなかなかむずかしいことができたからです」というのは、後でいただいたメール。ちなみに私と同い年だそうです。

これほどの人が初来日とは、と思って尋ねてみると、自分はマネージャーもいないし、呼んでくれる人もいないので、と寂しそうなお返事。こういう方を推薦してくださったヴォルフ先生(←本シリーズ音楽監督)の慧眼を、あらためて感じさせられた次第です。

やむを得ない質問2016年01月14日 22時15分34秒

年賀状シーズンが、やっと終わりましたね。

私は数年前に勝手ながら年賀状を卒業する気になり、以後、返信しか出しておりません。ですから数は減ってきていますが、それでもくださる方が、目上を含めてたくさんいらっしゃいます(汗)。もちろん、嬉しいもの、なつかしいもの、恐縮するもの等、良きものがいろいろ含まれています。くださった方、ありがとうございます。

でも、年に一度の挨拶習慣が、すっかり空洞化してしまったように思えるのは、私だけでしょうか。なぜでしょうね。季節感と不即不離に形成されていた生活の起伏が、喪失されたからに違いありません。ネットを使っている人ほど、郵便の習慣から離れ、年賀状からも離れやすいのではないでしょうか。

このように流されてしまっている私ですが、こうした合理化がいいことずくめだと思っているわけではありません。日本の文化はなにより鋭敏な季節感を特色としているので、守っていきたいという気持ちはあります。伝統芸能の活力を保つためにも、それは必要なことだと思う。「・・・しているのは先進国では日本だけだ」などというよくある論調の対象に、お正月がなってほしくありません。

結局300通ちょっとの返信を出すことになりました。しかしその中には、相手がわからぬまま出している、というケースが少なからずあります。とくに多いのが、連名で賀状をいただくが、自分の知人が旦那様か奥様かわからない、というケース。年々、増えつつあります(汗)。ツーショットの写真があっても同様なので、万一心当たりのある方がおられましたら、お名前に丸印をつけていただくとありがたいです。

最近あったこと。おいしそうなプレゼントが届きました。状況からすれば、送ってくださった方(男性)とは、大きな接点があったはずです。でもどうしても、そのお名前の方を思い出せないのですね。食べるに食べられませんので、失礼を重々承知で、あなたはどなたでしょうかと電話を差し上げてみました(汗)。すると高齢の方が電話を取られ、話が一進一退となって、確かめることができずに終わりました(大汗)。

これをお読みの方にも、あなたどなたでしたっけ、と質問してしまうかもしれません。でも、わからないままでいるよりお互いにいいと思うので、本当に失礼ではありますが、お尋ねしようと思います。

ヴォルフ著『モーツァルト 最後の4年』日本語版のWEBサイトはこちらです。  http://composed.webcrow.jp/