ドイツ2016淡々(11)~シュニットガー・オルガン2016年06月27日 21時16分16秒

ヴォルフェンビュッテルのホテルは、2日間予約しました。研究がどのぐらいかかるかはわからないし、どこに行くかも決められない、と思ったからです。しかし新しいホテルを探して移動するのもストレスですから、滞在を4日に延長。空白日(23日、木)の休暇も、ヴォルフェンビュッテルからの日帰りで企画することにしました。いったんブラウンシュヴァイクに出なくてはならないのが、いつも面倒ではあります。

ノルデンにもフーズムにも行きたいが、遠すぎる。そこで、ハンブルクに行き、シュターデに往復するプランに決定。ハンブルクは3度目かと思いますが、久しぶりです。記憶も定かではありません。町が大きく、活気がありますね。6月ですから明るいし、街行く人の洗練度は、おそらくドイツ随一。教会の尖塔が印象的です。


この左側が聖ヤコービ(ヤコブ)教会で、バッハが1720年にケーテンから、オルガニスト試験に赴いたところ。当然合格しましたが「寄進」を求められて拒絶し、赴任しなかったのはご承知の通りです。ここにあるアルプ・シュニットガーの名器を、バッハはさぞ自分の楽器としたかったことでしょう。3天使の像をあしらい、下に一連の福音書絵画を配したこの楽器は、見るからに貫禄十分です。


音を聴きたかったなあ、と思っていたら、毎週30分の入場無料コンサートが、なんと木曜日の16:00から。そこでシュターデ行きを取りやめて、聴きました。スヴェーリンクのエコー・ファンタジアから始まったコンサートは、演奏者が未熟で楽器の真価を発揮したとは言いがたく、残念でした。

いいオルガンをもつ教会は、どこでもオルガン週間を催します。この教会の今年は、「マティアス・ヴェックマン生誕400年」がテーマ。そうか、ヴェックマンが親しまれているわけですね。


港の方に少し行くと、バッハが伝説的な演奏を聴かせた聖カタリーナ教会があります。ただしここのオルガンは、戦争後に作られた新しい楽器です。


今度はハンブルクに滞在したいなあ、と思いつつ、好きなように遅れるICEに乗ってブラウンシュヴァイクにへ、さらにタクシーでヴォルフェンビュッテルへ。その中華が、ドイツ最後の夕食となりました。

ドイツ2016淡々(10)~小都市にて2016年06月26日 21時08分32秒

ベルリンとライプツィヒでは星5つのホテルをお相伴させていただきましたが、ヴォルフェンビュッテルでは星3つ。4以上のホテルには、ここにはありません。

今回の実例で比較すれば、違いはセキュリティの差ですね。星3つのホテルはその点厳格ではないが、その代わり、気軽に過ごせる。慣れていれば星3つで十分ですが、地方の小都市だからそう言えるのかも知れません。ともあれ長時間の睡眠が取れましたので、体調ははっきり上向きになってきました。

今回の調査は、『ヨハネ受難曲』執筆のために、テキストの問題となる部分がルター正統派ではどう考えられていたかを確認するためのものでした。調査した本は、5冊。17世紀の本というと小さいものと思うかたもおられますが、皮表紙で閉じられた大判の分厚い本で、結構字も細かいので、メガネをはめたり、外したり。日本語でノートを取ると後で疑問が生じますから、面倒でも、ノートパソコンへの書き写しを続けました。

1日やるつもりでも、5時間もやれば疲れてしまいます。無理はせず、終わった後は町を変えて、夕食を摂ることにしました。1日目は、隣の大都市、ブラウンシュヴァイクへ。2度目です。ただこの町は妙にだだっ広く、駅の周辺には何もなくて、旧市街まで歩くのがたいへんです。レストランの多くはサッカー観戦のためドイツ人が鈴なりでしたから、イタリアンで軽く済ませました。

2日目は迷ったあげく、テレマンのいたヒルデスハイムへ。この町はよかったですね。旧市街に風情があり、女性に好まれそうな町並みです。天を突くような教会の下で食事をしましたが、白ワインがよく冷えていておいしかったです。



私の実感。食べ物の好みはそれぞれであるにしても、中華料理のいいお店が1つあると、体調の変化にかかわらず、バランス回復を図ることができます。ヴォルフェンビュッテルにはまさにそういうお店(Wan Bao)があり、昼夜、計4回も通ってしまいました。けっこうがんばったので、残る1日は観光に充てたいと思います。



ドイツ2016淡々(9)~ドイツと向き合う2016年06月25日 20時14分41秒

今回は、月曜日に一行の方々とお別れした後に、自分のための時間を4日分、確保していました。ヴォルフェンビュッテルの図書館で、少なくとも2日を使うつもりです。

しかし体調が安定せず疲れもたまってきたため、もう帰っちゃおうか、という気持ちが生じていました。せっかくの機会ではあるが、調べたいことをもっと整理してから来ても間に合うのかな、と。まあ、怠け癖が頭をもたげたわけです。

多少の金額には目をつぶるつもりだったのですが、調べていただくとチケットの変更は不可能で、天文学的な値段のチケットを新規購入せざるを得ないことが判明。それじゃ残るほかないな、と気持ちを決め、ライプツィヒ=ハレの空港で、皆さんをお見送りしました。大きな荷物をコインロッカーに預けて(便利)、さあ、小旅行に出発です。

ハレで昼食を摂り、ケーテンとマクデブルクを経由するICEで、ブラウンシュヴァイク下車。ここからヴォルフェンビュッテルへは、ゴスラーへ行く列車で一駅です。

一人旅になってから、私の気持ちに、変化が生じてきました。それまで日本人旅行者の一人でしかなかったのがようやくドイツと向き合うようになり、それに伴って、違和感のごときものが、すっと消えていったのです。

ヴォルフェンビュッテルに着き、ドイツでも指折りと思われる静かな町並みの美しさに接すると、この町で図書館に通いつつ過ごした日々がなんとも言えぬ温かみをもって思い出され、幸福感がこみ上げてきました(写真は中央教会)。


宿に荷物を置いて、図書館へ。入稿カードを作り、WEBOpacを検索して、講読を申し込みます。私がいつもここへ来るのはバッハの蔵書があらかた所蔵されているからですが、「アウグスト公図書館」としての古い歴史がありますから、神学書の充実には、目を見張るものがあるのです。

無事準備を済ませ、町を散策すると、私が『マタイ受難曲』の執筆時に泊まった「バイエリッシャーホーフ」という宿(写真下)が健在でした。ここの料理はおいしいので夕食を摂りましたが、またしてもKO。ふらふら宿に戻り、ベッドに倒れ伏しました。



ドイツ2016淡々(8)~光の奇跡2016年06月24日 13時01分25秒


今回の体調不良は、ドイツの食事に身体が対応できなかったことが原因だと思います。19日(日)のお昼、ベトナム系のお店を見つけて塩味のさっぱりした麺を食べ、ああ良かったと思ったら、かえって気分最悪に。今後に自信がなくなり、予定を変更して帰国することを考え始めました。

なんとかがまんして、北方にあるミヒャエル教会(写真)へ。ベルリン・バロック・ゾリステンの「コンチェルトと組曲」と題するコンサートが、ここで開かれました。管弦楽組曲第2番とロカテッリのコンチェルトを聴いたところで引き返したのは、《ロ短調ミサ曲》のプレレクチャーをするため。しかしこの演奏、私には新鮮味が感じられませんでした。

いよいよ、終了コンサートの《ロ短調ミサ曲》です。ウィリアム・クリスティ指揮のレザール・フロリサンはあまりにも有名で、ラモーやヘンデルはすごいし、モーツァルトもやっています。しかしバッハはどうなのでしょう。手持ちのCDにもないですし、やったという話を聞きません。いずれにしろ、ライプツィヒ・バッハ祭のトリということで、意欲的な取り組みだったはずです。

合唱は21名、ソリスト(ソロ専従)4名、管弦楽はヒロ・クロサキさんを筆頭に30名(日本人がもう2名)。けっして大編成ではないですが、引き締まって華のある、すばらしい響きです。〈グローリア〉は、まるで花園。煌々たる光の芸術、といったらいいでしょうか。

ホルン(女性奏者スコットが名演)とファゴットのバス・アリア(アンドレ・モルシュ)が終わり、「聖霊とともにCum Sancto Spiritu」が始まるところでは、天使たちが燦然と出現して地上の歓呼に和すイメージが浮かびました。そうか、〈グローリア〉は冒頭も、羊飼いに天使が出現するテキストですよね。

朗々たる聖歌引用で始まった〈ニカイア信条〉の出色は、中央の〈クルツィフィクスス〉。パッサカリア低音を強調し、テンポを抑えて重厚に進められました。器楽をたっぷり鳴らしていたので、それが沈黙jに転ずる第13変奏(「死」をあらわすとされる部分)が浮かび上がり、ト長調への転調が、意味深く表現された。ソプラノが最後の小節に前打音を付けたのには驚きましたが(「レードシドーシーー」でなく「レードシドードーシ)、たしかにこれもありでしょう。

きびきびと進んで、最後の〈ドーナ・ノ-ビス〉へ。平和の祈りが湧き上がるさ中に、教会のガラスから光が差し、場内が明るく照らし出される一幕が。太陽がちょうどその位置にいて、雲が移動したのだと思いますが、奇跡のように思われた瞬間でした。

平素から、典礼文に則りグレゴリオ聖歌を引用するこの作品にはフランス系の演奏家がアドバンテージをもつ、と申し上げていますが、まさにそのことを裏書きする名演奏で、すばらしい締めくくりになりました。同行の皆様も大いに湧き、やっぱり演奏は大切だ、とおっしゃる方も(注:前日との比較)。ホテルのバーで開いた二次会には多くの方がいらっしゃり、深夜まで、話が盛り上がりました。

ドイツ2016淡々(7)~古都へ2016年06月23日 16時50分13秒


書き忘れましたが、昨日、路上でヴォルフ先生にお会いしました。「クリストフ!変わらないね」「君もだよ、タダシ!」。Duでしゃべると、このように上下がなくなってしまいます。コーヒーを飲もうということになりましたが、今回はスケジュールが合いませんでした。

午後は、オプショナル・ツァー。例年ハレ、ナウムブルク、ヴァイセンフェルスの方角に行くのですが、今回はドレスデンを訪れて、再建された聖母教会で《ロ短調ミサ曲》を聴こう、という計画です。

それならぜひマイセンに寄りましょう、というのが、私の好み。小高いところに聳える大聖堂からのエルベ川の眺め(写真)に、皆さん、歓声を上げておられました。

陶磁器の博物館では、「マイセン焼きのパイプオルガン」を鑑賞。アウグスト侯が望んでできなかった技術が、最近ようやく可能になったのだそうです。「らしい」音は確かにしますが、本格的な演奏は、ペダルが開発されてからでしょう。居並ぶ絢爛豪華、かつ超高価な陶磁器にはあきらめの眼を向けるだけ。しかし購入されてはしゃぐ剛の方々もおられました。

ドレスデンの偉容も、初めての方には印象深かったようです。美麗な聖母教会の中に入るのは、私も始めて。明るく華やかな、バロック様式の内陣です。《ロ短調ミサ曲》の前半は、ご承知のように、ドレスデン選帝侯に捧げられたもの。合唱は聖母教会付属の合唱団、ソリストには大家クラウス・メルテンスの名前も、ということで興味を抱いて出かけましたが、なんと、ガラガラではありませんか。

演奏が始まって、その理由がわかりました。速いテンポで元気よく演奏するが、揃っていないし、一本調子。ひとりメルテンスが、格調高い美声を響かせていたのでした。

ライプツィヒ着は、夜中の12時。へとへとです。しかしホテルのバーは、2時までやっている。ちょっと疲れ安めを、といって結局元気の出てしまうのが、旅というものです(汗)。

ドイツ2016淡々(6)~名案を実行2016年06月22日 23時40分58秒

ツァー4日目(金)。今日は、午前中が市内観光、午後はフリーです。朝やはり食後気分が悪くなり、バッハ博物館から、観光の仲間入り。(写真は、宿泊している部屋からの眺めです。右に聖ニコライ教会)

募集のチラシで「飲みましょう」と呼びかけたのはいいのですが、小さなグループを回ったのでは、期限切れになってしまいます。そこで考えた、私の名案は・・・。

去年訪れてレストランが気に入っていた老舗のヒュルステン・ホテルで、ちょっとリッチなディナーを企画する。定員は最大限10名とし、まだ私とアフターで飲んでいない人を優先する。ただしこの夜をもって、一通り機会をもったことにしていただく--というものでした。

2回ホテルに赴いて打ち合わせし、万全の準備が完了。こう書くと、その会食は失敗したにちがいない、わくわくしてきたぞ、という方がおられるのではありませんか?そうはいきませんっ(きっぱり)。会食は大きく盛り上がって深夜まで続き、ワインの瓶がたくさん並んだのです。皆さん楽しい方で、毎晩集まりましたよ!

その前に聴いた、入場料はプログラム代だけという、礼拝形式のモテット・コンサート。大好きなシュッツの〈心からあなたを愛します、おお主よ〉をめざして出かけたのですが、ハレ・マドリガリステンの合唱が聖トーマス教会の響きにも助けられて美しく、心を清められました。ホルスト、レーガーらの近代プロも、なかなか。

われわれも古風なメロディを唱和し、間には講話が入りました。しかし現代の世相と結びつけ、マイクで語られる講話が、なんとなく、音楽とすれ違うのですね。これは、過去のものをどう現在に生かすかという問題とかかわってきます。昔の美しい音楽は、人間の現在を投影しなくても十分に美しいのではないか。それはそれで尊重したい、というのが、その時思ったことでした。

ドイツ2016淡々(5)~《マタイ》の演奏者たち2016年06月21日 16時22分31秒

音楽的に見ると、ガーディナーの指揮は、大局的な視点に立ちつつ、演奏に一貫した流れを確保する方向に向かっていました。歌い手が前奏、後奏を利用して移動することにより、ほとんどの楽曲がアタッカで進行してゆきます。こうすると、絵巻物のように物語を体験できるのですね。できれば、こうしたいものです。

コンチェルティストの割り振りは、バッハの指定通りではありませんでした。どうやら準備の段階を経て、割り振りが定まったようです。女声の中に巨漢の黒人歌手が交じっていて驚きましたが、レジナルド・モブリーというカウンターテナー。艶のある美声でアリアの先陣を切り、会場を沸かせました。

若手のソリストには指導的な棒さばきを見せたガーディナーですが、ハナ・モリソンのように彼のフレージングを熟知している人は自由に歌って、あたかも化身のよう。どの歌い手にも、器楽とのコラボをしっかり取るという古楽の基本が徹底されていました。

しかし歌い手の殊勲賞は、なんといってもジェイムズ・ギルクリスト(エヴァンゲリスト)でしょう。美声で語りかけるような唱法にますます柔軟性と起伏が加わり、大演奏の聖書場面を堂々と牽引。当代随一の、少なくとも一人ではあると思います。

ヴィオラ・ダ・ガンバは日本人女性でした。見慣れた後ろ姿と思ったら、やはり市瀬礼子さん。〈忍耐〉のテノール・アリアから入りましたが、ラド・シミを歌わせ、紡ぎ出し部分をすごい付点にする解釈で、音楽性も十分。器楽奏者の最初に起立して拍手を受けました。舞台袖で立ち話をしていると、ガーディナーが花束を届けに。このところしばしば共演しているそうです。たいしたものですね。

長くなりますが、細部の話を少し。最後のバス・アリアの中間部終わりに、「世よ出ていけ、イエスにお入りいただくのだ」という部分があります。この世ときっぱり決別し、イエスをこの身に埋葬しよう、というくだりです。

私はこの箇所が大好きなのでいつも待っているのですが、多くの演奏が、ここを素通りしてしまいます。しかしガーディナーは間奏をしだいに白熱させてここを迎え、次の器楽合奏に喜び踊るような表情を加えて、主部の再現を導きました。雑念が一掃された心の軽みをあらわしたのだと思いますが、こういう演奏は初めて聴きました。言葉への収斂の、1つの形だと思います。終曲の大団円には、感慨を込めたひときわ大きなリタルダンドが置かれて、コンサートが閉じられました。

身体の不調は曲ごとに良くなり、ついには解消。悪いことがあればいいことがある、という「ツキは一定」の理論は、やはり正しいようです。忘れがたい一日。天の声様のおかげです。

最後に、一愛好家さんがコメントで触れておられる、《ロ短調ミサ曲》新盤との関係について。私は間近でその凄みを実感しましたから、その心配から解放されました。しかし同行した方の中にお一人、13年の《ヨハネ受難曲》に比べるとやや老いを感じる、と指摘した方がおられました。言われてみると、その意見を否定することもできないように感じています。

ドイツ2016淡々(4)~すべてが言葉へ2016年06月19日 18時40分58秒

聖トーマス教会の演奏者席は2階後方にあり、1階席からは、演奏者の姿をほとんど見ることができません。聴衆は、豊かな残響と共に舞い降りてくる響きに身を浸すわけで、それが、教会で音楽を聴く伝統的なあり方でもあります。同行の方々はそのように聴かれ、一致して、すばらしかった、感動した、とおっしゃいました。私からは、目撃してわかったことを中心にご報告します。

最大の驚きは、声楽が全員暗譜だったことです。合唱はもとより、エヴァンゲリストもイエス(シュテフェン・ローゲス)も、全員楽譜なし。しかも、アリアを歌うソリスト9名がモンテヴェルディ合唱団と共に、合唱パートを全部歌っている。人数は、彼らを含めて各パート3人(ソプラノのみ5人)×2の、28人です(+少年合唱)。

つまり、コンチェルティスト/リピエニスト方式がみごとに貫徹されていたわけです。これはソリストに大きな負担を課しますから、ソリストに著名な人が少なく若手が多かったのは、そのためかもしれません。しかしその一体感はたいへんなもので、周到に準備された公演、という印象を強くしました。楽譜をすべて自分のものとした2群の合唱から、明晰でスピリットにあふれたすごい響きが湧き上がり、教会空間にこだましてゆくのです。

ガーディナーが何を目指して音楽していたのかは、演奏者側から見ることによってよく理解できました。すべてが、「言葉」に向かっているのです。彼は(声を出していたかどうかはわかりませんが)つねに言葉を口ではっきり示しながら指揮し、表情の動きや高まり、また鎮まりをすべて、言葉の内側から引き出してゆく。言い換えれば、音楽の全体が巨大な言葉として昇華されてゆく。こういう演奏をイギリス人たちがなしうるとは・・・。イングリッシュ・バロック・ソロイスツの奏者たちが簡単な伴奏音型ひとつにも共感をこめ、有機的アンサンブルを作っていたことも印象的でした。(感想続く)

ドイツ2016淡々(3)~不思議な声2016年06月18日 17時26分14秒


朝日サンツァーズのバッハ詣で旅行3日目(6月16日)。この日が前半の山場です。ベルリンを出てヴィッテンベルクを観光し、ライプツィヒ入り。夜は聖トーマス教会で、ガーディナー指揮の《マタイ受難曲》を鑑賞するのです。

覚えている方もおられるでしょうが、去年の最大のトラブルは、ヴィッテンベルクで起こりました。一応振り返っておくと、観光後ライプツィヒに戻ろうと列車に乗ったところ、反対のベルリンに行ってしまった。動転してチケットを買いに走ったら、ヴィッテンベルクまで買えばいいところを、ライプツィヒまで買ってしまった。その上乗った列車が事故により迂回して大幅に遅れ、夜のコンサートに間に合うかどうか、時計とにらめっこになった--。今考えても冷や汗の出る失態を重ねたのが、去年でした。

というわけで鬼門の、ルター都市ヴィッテンベルク。今年は幸い爽やかな好天に恵まれ、失態も犯さずに、気持ちの良い散策ができました。来年の記念イヤーに向けての準備も進んでいます。去年閉まっていた聖マリア市教会(写真)にも入って、クラナッハの宗教画を堪能しました。

ライプツィヒに着き、いよいよコンサート時間(夜8時開始)が近づいてきました。ところが、その間に食べたものがいけなかったようで、気分がとても悪くなってしまったのです。

ぎりぎりまでホテルで休んで駆けつけると、まだ聴衆が長蛇の列。同業の加藤浩子さんと並ぶことになったのですが、加藤さんに「話しかけないでください」と言ってしまうほど(ごめんなさい!)、本当に気分が悪かった。トイレに駆け込む危険があったのでよほど前半を休もうかと思いましたが、チケットは無駄にできませんから、なんとかがんばろう、と思い定めました。

行かれた方はご存じでしょうが、聖トーマス教会は、席がとてもわかりにくいのです。すでに演奏者が待機している中をようやく探し当て、手前のお二人が立って道を作ってくださいました。ところが。その時。私に、不思議な声が響いてきたのです。

その声は、「汝、階段を登れ。かつてこの教会でバッハが成し遂げたことを、つぶさに見届けよ。今日、ガーディナーがなすことを見守るがよい」と言うかのようでした(後付け)。

言われるままに上がってゆくと、目前に演奏者席が開け、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの面々が布陣している。まもなく拍手に送られて、聖トーマス教会聖歌隊の少年たちが上がってきました。続いて、モンテヴェルディ合唱団。彼らは私の右側に立ち、左前方に、エヴァンゲリスト役のジェイムズ・ギルクリスト。やがてガーディナーが長身をあらわして左側へと進み、会場に一礼しました。(続く)

ドイツ2016淡々(2)2016年06月17日 22時07分17秒

ベルリンのコンツェルトハウス
気がついたことがあります。「淡々」というのは、声高に宣言するものだろうか。意識的に努めるものだろうか。やってみるとむずかしいのですね、これが。

優秀な添乗員さんにまかせて引っ込んでいるつもりが、ベルリンのレストランで、ビールの注文を仕切っている自分を発見。私が采配を振るうとどうなるかということをご存じの方は一部ですから、多くの方がとりあえず、素朴な信頼のまなざしを寄せてくださいます。

さっそく数名の方と、コンサートの後飲みましょう、という話になりました。チラシに「飲みましょう」と書いているので飲みには行くのですが、全員一度に行くと必ず失敗するので、小さなグループに分けて淡々とこなしていこう、という作戦を立てました。

雨模様のコンツェルトハウスで催されたのは、ベルリン古楽アカデミーのコンサート。「バッハとイタリア」と題され、A.スカルラッティのコンチェルトとカンタータ、ヴィヴァルディのコンチェルトとカンタータ、バッハのイタリア協奏曲、カンタータ第209番という選曲です。

ロビン・ヨハンセンという売り出し中のソプラノが共演し、華やかな笑顔とテクニックで会場を魅了。古楽アカデミーはソリスト編成で主張のあるアンサンブルを聴かせ、北の人のとらえたイタリアというテーマにふさわしい、いいコンサートになりました。事前にプログラムの予習をするというのがツアーの売りでもあるのですが、スカルラッティのリコーダー協奏曲が私の予想と別曲だった上、ヴィヴァルディのカンタータを調べ忘れるという失態。謝罪だけは、さっそく始まりました。

クーダムのホテルの近くにとてもいいお店があります。ところが、下調べの段階で閉店11時とわかり、結局、ぶっつけでお店探し。次々と店が閉まってゆく時間帯ではらはらしましたが。やっと入れたイタリア人のお店が安いながら良心的なところで、ようやく肩の荷を下ろすことができました。「2016淡々」第2日、終了。