今月上旬のイベント(至急)2015年03月02日 10時32分00秒

もう3月に入ってしまいました。大急ぎでご案内します。

1.朝日カルチャーセンター新宿校 隔週水曜日、4日と18日です。
・10:00~12:00のワーグナー講座は、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》に入ります。4日が「作品の成立と前奏曲について」、18日が「第1幕の概要」となります。
・13:00~15:00のバッハ・リレー演奏講座は、《マタイ受難曲》のその2、その3です。

2.「楽しいクラシックの会」2014年度コンサート 
6日(金)18:30開演、たましんRISURU小ホール(立川市市民会館) 
「俊秀アーチストの贈る 麗しき古楽~ルネサンスからバッハまで」
 出演:西山まりえ(ルネサンス・ハープ、チェンバロ)、櫻田亮(テノール)
 第1部「ルネサンス・ハープの奏でるいにしえの響き」
 第2部「イタリア古典歌曲の魅力」
 第3部「チェンバロで弾くバッハ」
 第4部「バロックを歌う」

・後半の曲目がチラシから変更されますのでご留意ください。トッカータホ短調が《イタリア協奏曲》に、カンタータ第147番のテノール・アリアがアルビノ-二のカンタータ《私が足を向ける処》になります(アルビノ-二のカンタータ、楽しみです)。《マタイ受難曲》からのアリアは、〈耐え忍ぼう〉です。
・私の司会、字幕と、演奏者のお話が入ります。
・「たのくら」のコンサートは、いつもリーズナブルな価格を売りにしています。定価2000円ですが、いつものようにコメントでご希望いただければ、1500円でお取り置きします。どうぞよろしく。

3.「錦まつり」コンサート 8日(日)14:00 立川市錦町の地域学習館
・「たのくら」が、会場を提供してくださっている学習館に感謝をこめて提供する「~ってすばらしい!」のシリーズ。今年はバス篇で、「超低音の魅力」と題し、小笠原美敬さんにご出演をお願いしました。
・オペラ・オラトリオあり、ドイツ・リートあり、日本歌曲あり、バロックありの盛りだくさんのプログラム。久元祐子さんによるモーツァルトのトルコ行進曲付きソナタや、シューベルトのピアノ曲の演奏もあります。
・入場無料で茶菓付き、というサービス企画。毎年楽しく司会させていただいています。

4.「楽しいクラシックの会」の例会 同8日(日)10:00~12:00、同地域学習館。ワーグナー・プロジェクト最終回「《イゾルデの愛の死》と《聖金曜日の音楽》をめぐって」。

間際になりましたが、とりあえずここまでご案内します。お出かけいただければ幸いです。

《マタイ受難曲》、感動の富山初演(5)2015年02月28日 23時50分01秒

目の色を変えて字幕の操作をしていたわけなので、演奏について、観察者としての報告をすることはできません。しかし、ひしひしと迫ってくるものがあったことは、間違いないです。終始ひたむきな演奏で、一体感があり、作品に向かう姿勢が、一貫して貫かれていました。誰がどうというのではなく、全員が等しく演奏に貢献していたという感じがあります。たいてい、あそこはよかった、ここはちょっと、という感想になるものなので、これは珍しいことだと思いました。

この真摯な一体感はなにより、アンサンブルを代表として牽引され、自らエヴァンゲリストを歌われた東福光晴さんの献身的ながんばりに由来する、というのが、衆目の一致する事実のようです。堂々たるイエスを歌われた佐々木直樹さんらの声楽、古楽器のガンバから朗々たる響きを引きだした平尾雅子さんらの器楽など、皆さんが、ベストを尽くした演奏でした。津田雄二郎さんは、沈着冷静に要所を押さえ、音楽としてのステイタスをしっかり確保してゆく、プロの指揮。曲ごとのつながりと流れを重視されたことが大きな効果を挙げており、コラールの表現もつねに内容に即していて、感心しました。

往復に乗った「はくたか」号は、新幹線の開通と共に廃止されるとか。いいタイミングでの、富山旅行でもありました。最後にホール近くの公園で撮った北アルプスの写真を載せますが、あいにく夕闇が迫っていて、この程度です。富山の方々、ありがとうございました。



《マタイ受難曲》、感動の富山初演(4)2015年02月27日 23時31分51秒

字幕の操作ミスというのは、ここはむずかしい、というところでは案外起こりません。よし、乗り切ったぞと心中ガッツポーズをしたりするとき、何でもないところでタイミングを外してしまったりするのです。大いなる意気込みで始めた操作ですが、後半になると疲れが出て、少し、ミスが増えてきました。立ち往生したのは第52曲、アルトのアリア〈この頬の涙が〉のところでした。

字幕ソフトは、ヴィンシャーマン指揮、大阪フィルで使われたものです。この公演では、上記の長大なアリアのダ・カーポが前奏のみでカットされたようで、反復に備えて用意された訳詞は、早送りで飛ばされる仕組みになっていました。しかし富山の演奏は、全曲カットなしです。したがってこの部分を復元しなくてはならず、iPadの持ち主である縄文さんに作業をお願いして、無事復元することができました。

ところが、実演でこの部分に来たとき、起こるはずのない早送りが起こったように思え、胸騒ぎがしました。映写中に確認するわけにいきませんから、私の取り得る選択肢は、2つ。1つは、早送りが起こったとみなして字幕の進行を中止し、次の曲まで待つというもの。この場合、早送りが起こっていないと、次の聖書場面に、アリアの残り歌詞が出てしまいます。

もうひとつは、早送りが起こったのは錯覚であるとして、予定通りアリア歌詞を先に進める、というもの。この場合、早送りが本当に起こっていたとすると、アリア内で次の聖書歌詞が出てしまいます。

さあ、どちらを取るかを決めなくてはなりません。私は、何らかの事情で早送りが起こったという方に賭け、字幕送りをストップしました。

次の曲に入り、祈るような気持ちで字幕を送ります。するとぴたり、聖書の歌詞が出ました。ああよかった、ということですが、それは、持っているツキをここで使った、ということでもあります。

演奏は進み、〈ああ、ゴルゴタ〉に続く、第60曲のアルト・アリア〈ご覧なさい〉へ。物語の転換点に座る、この上なく重要なアリアです。アルトと合唱のすばやい対話が入ってきますから、油断できません。

私も、最大の集中力をもって対処。対話を経て、〈生きなさい、死になさい、ここに憩いなさいLebet,, sterbet, ruhet hier〉の、すばらしいくだりに来ました。このテキストは2回繰り返され、〈見捨てられた雛たちよ Ihr verlassnen Küchlein ihrの句で締めくくられます。短い句ですがメッセージの核心部で、名アリアの感動が、ここに集約されている。私はここを絶対決めてやろうと、力強くタップしました。

そうしたら、ああ、勢い余って、ファイルが2枚送られてしまったのです。すなわち、肝心の部分が飛んだということです(汗)。痛恨の失敗で、いい歌を歌われていたアルトの福永圭子さんに申し訳なく、公演後、最敬礼でお詫びをしました。

というわけで功罪両面あった字幕作業でしたが、ヘトヘトの中にも喜びのある時間ではありました。(続く)

《マタイ受難曲》、感動の富山初演(3)2015年02月26日 10時47分40秒

私のメイン・ジョブは、字幕の操作です。字幕のプロ、幕内さんがきれいに整形されたファイルが送られてきていて、それをiPadで操作するよう、現場は設定されていました。どうやら、Windowsの環境には移せないようです。

私は反マック陣営で過ごして来ましたので、iPadにはさわったことがありません。ここにまず、不安があります。また、私は字幕が好きだといわれていますが、操作を自分でやったのは、松本の《ロ短調ミサ曲》だけ。熟達しているわけではまったくありません。《ロ短調》と比べれば《マタイ》はるかにテキスト量が多く、人物や群衆の会話も錯綜している。操作は大忙しです。

整形されたプロの字幕には、強いフェードがかかっていました。ゆっくりと立ち上がって、ゆっくりと消えていく。その効果はたしかにいいのですが、タイミングを取るのがたいへん。歌の入りに、少しずつ先行しなくてはならないからです。

あまりにも失敗するので、これは困ったという焦りが出てきました。なにしろ字幕の作りが内容の伝達にこだわっていて、操作の困難を無視している。文句を言いたくなりましたが、作成者はあいにく、私自身です。今まで操作された方、さぞ苦労なさったことでしょう。なんとか少しずつ慣れ、あとは本番に集中するのみと、気持ちを切り替えました。

さて本番。4階のブースに籠りました。指揮者津田雄二郎さんの身振りをモニターで見ながら、iPadにタッチしてゆきます。リズムに乗り、流れが出てくると、演奏者の一人になったような気持ちがして、楽しい。それにしても、《マタイ》はなんと、いい曲が次から次へと出てくるのでしょう。

少しずつミスをしましたが、まあ、大勢に影響ない部分であったので引きずらないようにし、後半へ。しかし事実上のシロウト作業で3時間を完遂できるほど、字幕は甘くありません。落とし穴が待っていました。(続く)

《マタイ受難曲》、感動の富山初演(2)2015年02月24日 22時23分05秒

一般論をさせてください。アマチュア合唱団とのお付き合いは徐々に広がり、私のバッハ啓蒙活動の、大切な一部になっています。バッハが大好きで活動されている方々とさまざまな場所で接点をもつのは、私にとって、とても嬉しいことです。

でもそこには、率直のところ、リスクも伴います。コンサートの準備のためにお話しさせていただくわけですから、事後にはコンサートに原稿を寄せることになりますし、対訳や字幕を提供することもしばしばです。数が増えてくると、それもたいへん。しかし私にとっていちばん悩ましいのは、コンサートに来てください、と招待されることです。それには、打ち上げでスピーチしてください、という依頼が付随しています。もちろん、主催の方々としては当然のご依頼であると思います。

とはいえ、一日がかりになるコンサートの時間を見つけるのは、容易ではありません。さらなる問題は、演奏がどういうものなるかを事前に予測するすべがなく、達成感あふれる演奏者の皆さんに喜んでいただけるスピーチができるという保証はない、ということです。なにしろ、心からの賛辞を差し上げたいと思うからこそ、心にもない賛辞は差し上げない、という原則を貫いているからです(と格好をつけましたが、要するに人間ができていない、ということです)。

そんなこんなで、時間と気持ちの負担が増え、失敗を犯すようにもなってきました。いっそお付き合いを全面的に見直した方がいいのではないか、とも思っているタイミングで、富山のコンサートが近づいて来たのです。

依頼されたのは、お約束していた解説、対訳、字幕原稿の提供に加えて、字幕の操作と、公演前の挨拶でした。字幕の操作をするとなると、リハーサルから入らなければならず、公演前にスピーチをするとなると、演奏に確信をもっていなくてはなりません。正直のところ、そこまでやらなければならないのか、と思いました。かといって報酬のことを伺うのは、お金のためだと思われたくありませんから、できません(私の虚栄です)。

というわけで、迷った末にいったん、行くのをお断りしたのです。しかしその後のやりとりで一定の信頼感が回復され、2日間を投入しようと決心しました。

列車を降り立った富山は快晴、雪もなくて温かく、眼前に、立山連峰が屏風のごとく展開しています。ホールを間違えたとか、入り口がわからなくてうろうろしたとか、いつもの話題は申し上げません。少し遅れてリハーサルに入って合唱を聴き、驚きました。昨年6月の講演で熱心に聴いてくださった方々が、その思いを大切にして、バッハと正面から向かい合って練習してきてくださっていたことが、すぐわかったからです。なんと申し訳ない対応をしてしまったのでしょう。(続く)

《マタイ受難曲》、感動の富山初演2015年02月23日 11時47分12秒

2月22日(日)、富山オーバードホールで、「バッハアンサンブル富山」の設立10周年記念演奏会が開かれ、《マタイ受難曲》が、じつにすばらしい盛り上がりをもって演奏されました。舞台袖で藤崎美苗さん(ソプラノ)が涙し、櫻田亮さん(テノール、アリア担当)は打ち上げに「こんなすばらしい合唱団が富山にあるとは知らず、驚いた」というメッセージを寄せられたことを引用して、私の感嘆がリップサービスではないことの裏付けとさせていただきます。

今月の案内にこれを書かなかったことを後悔しています。その補いを含めて、少し詳しくご報告しましょう。

芸術家の人格2015年02月19日 23時16分04秒

芸術は接する人に夢や感動を与えますから、人はつい、芸術家を理想的な人物、時には神に近いもののように考えてしまいます。私生活がそれとかけ離れていたりすると、裏切られたように感じる。でも、それは違います。

神様は、芸術を必要としません。芸術は、問題を抱え、渇きを覚えた足らざる人間が、高みをめざして生み出すものなのです。この「高みをめざす」というところが重要です。身の丈に安住しているのでは、創造はおぼつきません。

その原動力を、芸術家は、内面を見つめるまなざしから生み出します。問題意識に富む芸術は、深い内省から生み出される。自分を省みず他人をあげつらう姿勢から生まれるものは、少なくとも芸術ではないでしょう。

ワーグナーは、強い自省の一面をもっていました。そう思われにくいかもしれませんが、私はそう確信しています。彼の作品の主人公たちが苦悩の人、罪の人であり、救済を求めていることが、そのことを示唆しています。彼らはみな、ワーグナーの分身なのです。

ワーグナーが自己中心的であったのは、間違いないことでしょう。しかし大きな仕事をする人が自己中心的であることは、許容されるべきだと思います。まさにその成果が、作品群であるからです。ワーグナーが遠慮深く人に道を譲る人であったなら、われわれにバイロイト祝祭劇場が遺されることはなかったでしょうし、作品の初演さえ、おぼつかなかったかもしれません。

ワーグナーは、たくさんの敵を生み出しました。しかし、みんなに嫌われていたというのは言い過ぎで、味方もたくさんいたのです。彼が女性関係に乱脈のきらいがあったことは否定できませんが、それは、彼の周囲に、心酔する熱烈な女性たちが、とぎれずに存在したことを物語っています。

ワーグナーがもし周辺にいたら、自分が許容できるかどうか、自信がありません。しかし上記のように考えるものですから、伝記に基づいて芸術家を裁くことは、したくないと思っています。

須坂の新年度2015年02月16日 11時35分04秒

「すざかバッハの会」の新年度が、この8日から始まりました。「バッハの会」ですからバッハを中心に、モーツァルトを織り交ぜる程度で12年続けてきましたが、今回は思い切って、ワーグナーにシフトしました。題して「魅惑の世界への誘い」です。

その第1回「ワーグナー入門」、会場にメセナホールが取れたため音を出したいということになり、急遽久元祐子さんに、和声とライトモチーフのプレゼンテーションをお願いしました。ピアノで弾くとオーケストレーションの多彩な効果はなくなりますが、その分、和声のすばらしさがよくわかります。一流ピアニストでワーグナーの大好きな方がよく準備して演奏してくださるという条件に恵まれ、独創的な和声にゆさぶられました。久元さん、いつもながらありがとうございました。

終了後のフロアからのご質問で、核心に触れるものがありました。ワーグナーはたいへん周囲に迷惑をかける人だったと聞いている、先生はそんなワーグナーの人間性についてどう思うか、というご質問です。

これは重要なご質問で、多くの方の関心をそそるものでした。伝記を読み、「うわーこんな人はいやだ」と言ってワーグナーを嫌いになった人も、身近にいます。談話室に来てくださるバッハファンの方々の中にも、私がなぜそこまでワーグナーに傾倒するのか理解できない、と思う方が多いのではないかと想像しています。その場で私がお答えしたこと、また事後考えたことは、次回の更新で書きたいと思います。

年に1度か2度温泉に立ち寄りますが、今回は昨夏に続き、少年時代を過ごした上山田温泉に1泊しました。「圓山荘」という宿を選んだのは、そこの息子さんが小学校の同級生であったことを覚えていたから。あいにくオーナーは交代し、対面は実現しませんでしたが、翌朝、好天の上田を散歩できたのがいい思い出になりました。

上田は長野県第3の都市で、私の姉が高校を卒業したところ。いま、眞田一直線で観光に邁進しています。写真は上田城址、子供の頃訪れた記憶がありません。


眞田神社。同行したまさお君のシルエットが入ってしまっています(汗)。


上田盆地の向こうに、美ヶ原方面の山容。徳川の大軍をここで迎え撃ったというのが信じられないほど、静かなところです。



今月の「古楽の楽しみ」~ヘンデル2015年02月14日 10時43分36秒

Tenor1966さんのご催促で、放送にぎりぎり間に合いました。感謝。

ヘンデル器楽曲の傑作である op.6のコンチェルト・グロッソが、今月の主役です。全12曲、いずれ劣らぬ名曲ですが、そればかりというのは避けて、イタリアン・カンタータを間にはさむ形で構成しました。したがって、放送に出るのは8曲です。演奏は全部変えようと思い、クォリティ、適性、新鮮度、演奏時間(放送ですからこれが重要)の4つの観点から、集めたCDを振り分けました。

16日(月)は、第1番ト長調(ピノック~イングリッシュ・コンサート)と第3番ホ短調(ゲステール~アルテ・デイ・スオナトーリ←ポロネーズ楽章があるのでポーランドの楽団を選択)の間に、二重唱カンタータ《恋のいさかい》(アージェンタ/チャンス/フライブルク・バロック・オーケストラ)をはさみます。

17日(火)は、第5番ニ長調(アーノンクール~WCM)と第6番ト短調(ヘンゲルブロック~フライブルク)の間に、カンタータ《捨てられたアルミーダ》(メイ、イル・ジャルディーノ・アルモニコ)をはさみます。

18日(水)は、第7番変ロ長調(コンバッティメント・コンソート・アムステルダム)の次に、カンタータ《胸が騒ぐ》(ヤーコプス/レオンハルト)。第8番ハ短調(マンゼ~エンシェント)の次に、カンタータ《クローリ》(トルー/コントラスト・アルモニコ)。《胸が騒ぐ》は私が若い頃に書いた解説でまだ出回っているようですが、その後の研究でイタリア時代ではなく、ロンドンに来てから作曲されたことがわかっています。修正するすべがなく、申し訳ありません。

19日(木)は、第10番ニ短調(クリスティ~レ・ザール・フロリサン←曲がフランス様式ですので)の次に、宗教的カンタータ《ああ、あまりに不釣り合いな》(フォン・オッター/ムジカ・アンティクヮ・ケルン)。第12番ロ短調(ホグウッド~ヘンデル&ハイドン・ソサエティ)の次に、カンタータ《曙は東に輝き》(コヴァルスキー/ベルリン古楽アカデミー)。長調と短調1曲ずつで進めてきましたが、この日だけ、短調2曲になりました。第11番イ長調もいい曲ですが、第10番、第12番を落とすにしのびなく。

イタリアン・カンタータにも、美しい曲がたくさんありますね。それらの若々しい輝きに比較すると、コンチェルトのイギリス的風格が際立ちます。広々した気持ちになれる1週間を目指しました。落としてしまった4曲(2、4,9、11)、ごめんなさい!

リフシッツ、巨匠の指揮2015年02月13日 07時37分09秒

11日(水)、日帰りで大阪へ。いずみホール・モーツァルト・シリーズ今年の最終回、リフシッツのコンチェルト弾き振り(第15番変ロ長調、第23番イ長調およびハフナー交響曲)を聴くためでした。シリーズ期待のコンサートのひとつです。

ピアノが中心、というイメージを抱いて出かけましたが、結果は違いました。リフシッツが指揮に本格的に取り組んでいたため日本センチュリー交響楽団の演奏がひじょうに立派で、2つのコンチェルトは、ピアノ付き交響曲(!)を聴くよう。ハフナー交響曲も、斬新かつスリル満点の演奏になりました。

聞くところによると、リフシッツはリハーサルにあたって自分がどんな音楽をやりたいかをはっきり述べ、その実現を目指して、細かい練習を行ったそうです。それにオーケストラが共感して、こうした演奏ができあがったとか。う~ん、納得です。

ただその反動も少し。ピアノ・パートの存在感が総じて薄らいだことと、男性的なアプローチの反面、技巧的なパッセージが技巧的に聞こえてしまうことはどうなのかと感じました。しかし第23番の第2楽章、第3楽章に至って、本格的なコラボが実現。アンコールで弾かれた長大なハ短調ファンタジー(名曲なのに今年のプログラムに含められなかったもの)では、独奏への豊かな集中が見られました。

指揮者的な傾向のピアノだとは思っていましたが、指揮者として活躍したら面白そう。頼んでみたいです。