熊本で合唱シャワー2017年07月18日 23時34分07秒

合唱コンクールの審査で、熊本に行ってきました。15日(土)、16日(日)二日間でしたが、14日(金)に入り、17日(月)に戻ってくる、ちょっと贅沢な行程を消化しました。

皆さんの熊本イメージは、どんな風ですか?加藤清正の連想をついしてしまうのですが、それとは違うようです。

接触した方々、合唱を聴いた印象を併せて、謙虚でやさしく、遠慮深いのが、熊本の方々であるように感じます。合唱のレベルはなかなかで、とくに小学生が高いと思いました。全体にまじめで端正な取り組み。弱音を大切にする演奏が多く、絶妙のディミヌエンドを聴かせてくれる団体もありました。それでいて風土のおおらか感があるのが熊本のようで、あらためて、熊本が好きになりました。震災からの復旧も、ずいぶん進んでいるようですね。良かったです。

ドイツは「木」の国だと申しましたが、熊本の木も、すごいですね。堂々たる巨木が、たくさんあります。お城ですごい木が撮れたと思って準備したら、4月にアップしたのと同じ木でした(汗)。

土曜日の夜開いていただいた懇親会では、審査員仲間やお世話いただいた支部の方々と、本当にいい交流ができました。日曜日の夜に経験したことは格別なので、次回お話しします。写真は、その夕方、熊本駅近くから撮ったものです。



名店との別れ2017年07月13日 23時13分45秒

新宿歌舞伎町、良心的でおいしく、雰囲気のいいお店として皆様にもお薦めしていたハート・ダイニングバー&Kが、店じまいとなりました。昨12日、ご紹介してからよく訪れていらした方々と、名残を惜しみに行ってきました。

ジンクスとはいえ(汗)、とても残念です。何しろ「飲み放題」のメニューでも、本当においしいワインが出てきたのですから。ただ場所は残り、イタリアンとは訣別して、1階のまぐろのお店とタイアップしながら、新しい道を模索されるようです。第3のお店がなくなってしまったので、不肖私、第1、第2のお店(恵比寿と国分寺)を、精一杯支えたいと思います。

いま、飲食店などから出る残飯が、社会問題になっているそうですね。よくわかります。私は戦後の食料のない時期の生まれなので、極力残さずに、全部食べようとします。

でも、そうしたくてもできないのが、ドイツのレストランです。とにかく量が多く、一品でも、半分でちょうどいいぐらい。グループ旅行の昼食でも、ほとんどの方が食べきれず、残してしまいます。自分の身体に訊けば、そうならざるを得ません。

でもレストラン側は、全部食べて欲しい、と思っているわけですよね。日本人が食べ残すのを、いい気持ちでは、片付けていないと思います。食べられないから2人で1品注文、というのは基本的にルール違反なので、結局、残すほかなくなります。

しかしそんなドイツでも残飯が問題になっているそうで、罰金を科そうという意見も出ているというニュースには、びっくりしました。ちなみにこの事情は、アジア料理でも同じです。ライプツィヒでカレーに挑戦しましたが、やっと半分しか食べられませんでした。

気持ちのよい旅行のコツは、「郷に入りては郷に従え」を、極力実践することです。そこに限界の生じてしまう「食事の量」は、とても頭の痛い問題です。

今月の「古楽の楽しみ」2017年07月08日 00時34分15秒

 今月は、中世からバロックまでの「舞曲の歴史」に挑戦しました。たくさんCDを集め、手間だけはかけましたので、楽しんでいただけるといいなあ、と思います。以下、概要を。

10日(月) 中世
 「十字軍の音楽」(マンロウ)、「パリの学徒たち」(ジル・バンショワ・アンサンブル)、「中世イタリアの舞曲」(アニマ・ムンディ・コンソート)、「フェラーラの宮廷音楽」(バーゼル・スコラ・カントールム)のCDその他から、エスタンピ、サルタレッロなどの舞曲を、歌も交えて集めました。

11日(火) ルネサンス
 アテニャン出版の曲集に含まれるバス・ダンス、アルマンド、パヴァーヌ、ブランルといった定番もの(ドゥース・メモワール、ピッファロ)に加えて、マイネリオのバッロ(ムジカ・アンティクア)、ミランとカベソンのスペインもの(カペッラ・デ・ミニストレールス)、ホルボーンによるイギリスもの(カペッラ・デル・トッレ)を集めました。

12日(水) 17世紀(1)
 ダウランドのリュート曲から憂いを帯びた3曲(ラゴスニック、キルヒホーフ)、プレトリウスの《テルプシコーレ》から陽気な10曲(フラウタンド・ケルン)、そして、あの「夜の王のバレ」から、第1の刻の抜粋と太陽王登場の〈グラン・バレ〉(ドセ)。お聴き逃しなくどうぞ。

13日(木) 17世紀(2)
 ステージの舞曲を集めました。まずカヴァッリの歌劇《カリスト》から、序曲と第1幕、第3幕終わりの踊り場面(ヤーコプス)。それからいよいよリュリで、コメディ=バレ《恋は医者》抜粋(ミンコフスキ)と、歌劇(抒情悲劇)《アティス》のプロローグ(クリスティ)、《ファエトン》のシャコンヌ(ミンコフスキ)。全身フランス・モードに染まってしまい、終日へ。

14日(金) 17世紀(3)~18世紀
 リュリ《アルミード》の〈パッサカリア〉は外せませんから、これ(クリスティ)を聴いてから、ポスト・リュリへ。まず、シャルパンティエ《メデ》第2幕のディヴェルティスマン(クリスティ)。次にカンプラのオペラ=バレ《ヴェネツィアの祭》から小さい曲を2つはさんで(ルセ)、最後を、ラモーのオペラ=バレ《みやびなインドの国々》第4幕第6場(クリスティ)で締めました。

 踊りなど全然できない私ですが、数日、頭の中でシャコンヌとパッサカリアが回っていました。気持ちいいですよ!

7月のイベント2017年07月06日 21時34分12秒

ドイツ滞在記を更新していたため、ご案内が遅くなりました。すでに、1日(土)の横浜におけるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番と、5日(水)の新宿におけるパーセル《ディドとエネアス》の講座が終了しています。

8日(土)10:00~12:00は、立川楽しいクラシックの会(たのくら)の例会。「プッチーニのオペラの始まり方」と題して、モスコ・カーナを勉強して以来温めている私見を述べます。

9日(日)14:00~16:30は、すざかバッハの会(須坂駅前シルキーホール)。ワーグナー・シリーズの最後、《パルジファル》その1です。宗教音楽がお好きな方にこそ、聞いていただきたいと思います。

15日(土)、16日(日)は、全日本合唱コンクールの審査で熊本にまいります。

18日(火)13:30から、朝日カルチャーセンター横浜校で、宗教改革に関する全1回の講座を行います。バッハとの関係を中心に、と要求されていますので、新宿講座とは用例も全部変えてやるつもりです。

19日(水)10:00からの新宿校「オペラ史初めから」は、カヴァッリの《カリスト》です。ただ、パーセルがまだ終わっていませんので、それを終えてカヴァッリに入る、という形になることでしょう。

22日(土)13:00は、朝日横浜校のレギュラー講座です。1日の懇親会で意気ますます上がるこの講座、モーツァルトのピアノ協奏曲が、いよいよ第24番ハ短調に到達します。

29日(土)16:00から、いずみホールでバッハオルガン作品連続演奏会の第11回が開かれます。「トッカータとフーガはニ短調で!」と題する今回、ようやくあの有名なトッカータとフーガが採り上げられます!出演はオリヴィエ・ラトリー。詳細はこちらをどうぞ。http://www.izumihall.jp/schedule/list.html?kind=kbn&kbn=1

10日(月)からの週が、「古楽の楽しみ」の出番です。今月は「舞曲の歴史」という番組を、とても手間をかけて用意しました。詳細は明日お知らせします。どうぞよろしく。

2017ドイツ滞在記(11)--ツェレのコインロッカー2017年07月05日 22時52分07秒

20日(火)。明日ライプツィヒ空港から飛行機に乗りますので、ハンブルクからなるべく近くに戻っておく方が安全です。そこで、泊まりは空港にすぐのハレとし、ハノーファー経由の途中立ち寄れる、リューネブルクとツェレを訪れることにしました。スーツケースは空港のコインロッカーに預けていますが、手持ちの荷物もかなりの重さなので、コインロッカーを使いながら観光できれば、と思いました。

まず、リューネブルクで下車。バッハが15歳のときオールドルフの兄のもとを離れ、聖歌隊員としてやってきた北ドイツの町が、リューネブルクです。変声したこともあって滞在は2年に満たなかったようですが、初期のコラール・パルティータなどが作曲されています。私としては、30余年ぶりの訪問です。

ホームにコインロッカーがありましたが、壊れかかった代物で空きもなく、荷物をかついでの観光となりました。まず訪れた聖ニコライ教会は前回は訪れなかったところで、これもかなりの教会。そこから市街地を少し外れたところに、バッハが寄宿生となった聖ミヒャエル教会があります。


ここではCDを2枚買ったのですが、売り場にいた年配の女性が優しく上品な方で、けっこう感動。というのは、ハレの空港で軽食の売り場にいた女性が険しい顔をした人で、ソーセージとビールを注文したところ、「そんなものはない!」と言った(ように聞こえた)経験があったからです。渋々作ってはくれましたが、こういう経験も過去に何度かあるので、この違いはなんだろう、と。信仰をいい形で生かした人はこうなるのかなあ、と思わずにいられませんでした。

街並みの美しさは北ドイツの特色であるように思いますが、リューネブルクは、ドイツ人の観光客も「きれいな町だねえ」と言っていましたから、上位だと思います。市庁舎はこちら。


最大の見どころは、ゲオルク・ベームのいた聖ヨハネ教会。その高度感はすごく、中のオルガンも立派です。



荷物をもって歩き回るのはたいへんなので、次の目的地、ツェレにコインロッカーがあるかどうか、心配になりました。そこでネット検索してみたのです。すると、同じ心配をした人の投稿があり、いくつかの回答の中に、あります、これですよと、ずいぶん立派なコインロッカーの写真が載っていました。検索してみるものだなあと大いに安心し、ツェレへ。皆さんも、私がコインロッカーを利用するのは歓迎ですよね。

ツェレはフランス様式の文化生活を営む宮廷の所在地で、バッハがフランス様式に通暁したのは、リューネブルク時代にここを何度か訪れたからだ、というのがバッハ研究の通説です。私は、今回初めの訪問でした。

さっそくコインロッカーを探しますが、見あたりません。業を煮やしてインフォーメーションで訊いてみると、それはない、近所のペンションで相談してみたらどうですか、という返事。ネットに載っていた応答は数年前のものなので、あったのがなくなったのでしょうか。だとすると、最新情報を探さないといけないですね。でも痕跡すら見あたらないので、情報の真偽を考えてしまいます。ともあれ、日本のような感覚でコインロッカーを当てにするのは考えものだ、と思った次第です。

しかしツェレは、いいところでした。まず中央広場で昼食。


接して、宮殿があります。今は博物館になっていますが、その展示は立派なもので、バロック時代の生活がよくイメージできました。


近くには、フランス式庭園もあります。かなりの広さです。


ハレに移動して宿に入り、空身で中央広場へ。「ロッシーニ」という、メニューにその肖像も載っているレストランで、遅い夕食を摂りました(味はちょっと・・)。旅行最後の写真は、食事をしたところのすぐそばから撮った、ハレの夕景です。夜の9時半ぐらいです。


翌日、空港のコインロッカーから無事荷物を取り出し、日本に帰ってきました。同行の方々、お世話してくださった朝日旅行社の方々、ありがとうございました。え、長々と読んだが何も面白いことがなかった、ですって?私は旅行でいいツキをたくさん使いました。これからに期待していただければと思います。

2017ドイツ滞在記(10)ーー北海2017年07月05日 00時07分34秒

19日(月)。今日は北海を見たいと思い、有名なシュニットガー・オルガンのあるノルデンをめざすことにしました。ハンブルク駅の本屋さんでガイドブックを探すと、見つかりません。店員さんに聞くと「シュレスヴィヒ=ホルシュタインでしょう」と言うので、いや違う、ニーダーザクセンのはずだ、答えると、そんな町は聞いたことがない、とのこと。ずいぶん探してくれ(笑)、オランダの近くに場所は見つかったが、ガイドブックはない、ということになりました。

後で考えると、「オスト(東)フリースラント」で探せばよかったのですね。ドイツの北西端に行く、という意識が強かったので、「東」の付く地名が思い浮かびませんでした。

ブレーメン乗り換えで、やはり計3時間かかります。ぼんやり乗っていましたが、延々たる平原なので、風景は単調。到着は、やはり2時になりました。

ガイドブックがないので、とにかく旧市街へと歩きます。まずルトゲリ教会が目標。20分ほど歩き、いい加減この辺だろうと思ったところで、全面改装中の小さな教会に出会いました。入り口に、聖ルトゲルスの地域との関係を記した案内板があります。ここかあ、しかし改装中で残念だなと思い、一応入り口を押してみると、入れるではありませんか。良かった!


う~ん。教会のみならず、オルガンもずいぶん小さいのでびっくり。名匠アルプ・シュニットガーはこういうところにいいオルガンを遺しているのかと感心し、今度放送で出すときには、それがいかにひっそりした目立たない教会にあるかをコメントしよう、と心に決めました。

そこから少し別方向に歩いてみると、巨大な建物があります。これはなんだろう。



表に回ってみると、こんな案内板が。


シュニットガー・オルガンのコンサートの宣伝が出ています。つまりこの巨大な建物が真のルドゲリ教会であって、先ほど入ったのは、ルドゲルスゆかりの教会群の一つであると判明(汗)。わかってよかったです。「皆さん、さぞ大きな教会だと思われると思いますが、じつは・・・」などと言ったら大変でした。

ここは月曜日は12時までで、中は見られず。駅まで戻り、タクシーで海岸のノルトダイヒ・モーレへ。運転手さん、実直ないい人でしたね。今日は暑いですねえ、と言うと、とにかく暑い、いつもなら雨が降って涼しくなるのだが、雨がまったく降らないので、もう花が枯れている、とのこと。また、このあたりにはアジア人がたくさん入ってお店をやっている、みんな勤勉でいい人たちだ、と言っておられました。

レストランに北海の眺望を独占できるような席を取り(野外、日よけなし)、ビールと魚で昼食。目の前に測量計があり、このような温度を示しています。


暑いわけですね。しかし湿度が低いので、それほどは感じません。私は水も持たず、帽子もかぶらずに炎天下を歩き回っていて平気。それは、山登りをやっていたからにちがいありません。でもそろそろ、熱中症に気をつけないといけないですかね。



どこに行っても、海を見たくなります。北海を見られて良かったですが、この海岸はのっぺりして、日本の海洋美にはとうてい及ばない、とも思いました。ともあれこれで、一通りドイツを歩いたことになりました。

2017ドイツ滞在記(9)ーー北へ2017年07月03日 22時17分09秒

17日(土)は、ツアーの方々が帰国される日。空港までお送りし、お別れしました。もう飲み友達ですから、お名残惜しい感じも相当ありました。

お別れして、1人に。空港のコンロッカーに赴いてスーツケースを預け、軽い荷物に持ち替えて昼食、というのはいつものこと。ただ今回は、まだ今夜どこに行くかを決めていませんでした。

今年の一人旅は図書館での最終的な調べ物のために用意しておいたのですが、ドイツに来た時点で、どうしても行かなくてはならない、という状況ではありませんでした。こうなると、水は低きに流れてしまいます。ドイツで私の足が及んでいない北東地域に行ってみよう、と決めました。ハンブルク、ブレーメンには時々行くし、好きでもあるのですが、その北、その西には行っていないのです。

そこでハンブルクに宿を取りました。日本食を食べようと「Yoshi」というレストランに入りましたが、なかなかいいと思います。

18日(日)。最初の目的地は、フーズムとしました。ユトランド半島の西側にある海港です。なんでそこへ?フーズムは、ブクステフーデの弟子にあたるニコラウス・ブルーンスがオルガニストを務めていた町なのです。解説などでよく「フーズムのオルガニスト」と紹介していますが、全然知らない町。一度でも行っておけば、説明に理解が宿りますよね。しかも、なんとなくエキゾチックな予感のする町です。

すぐ行けるような気がしていたら、乗り換えを含めて3時間かかることがわかりました。そこで乗り換え時間を活用することにし、エルムスホルンという、聞いたこともない駅から町に出てみました。すると、日曜日ですから教会の鐘がえんえんと打ち鳴らされ、なかなかいい雰囲気。こういう町がたくさんあるのだと思います。


フーズムに着いてみると、かつてブルーンスが活動し、足でペダルを踏みながらヴァイオリンを弾いたなどと伝えられる教会はすでになく、歴史的なオルガンもありませんでした。



港まで歩くと、活気が。そこにあったイタリア料理店での昼食はおいしかったですね。暑い日でしたから、冷たく冷やした(と表現したい)白ワインが抜群でした。トルコ系のウェイターがとても気のいい人で、尋ねてみると、日本人がここに来ることはめったにない、と。日本にも行ってみたい、とのことでした。チップをはずみ、お店を出て地図とみていると、彼が追ってきます。パスポートや航空券、日本円を入れてある小さなバッグを、置いてきてしまったのです。ありがとう!

観光はもう一箇所がせいぜいなので、半島を横断し、バルト海岸の港、シュレスヴィヒ=ホルシュタインの州都であるキールに向かいました。キールは活気があり、水の豊かな町です。


しかし、ボンボンと妙な音がするのですね。わかったのは、若者向けのライヴをやっていて、大音量の音楽を、スピーカーで流していること。しかしドイツの旧市街というのは、ナマの音は気持ちよく響くが、増幅すると響きすぎて、こもった妙な音になってしまうのです。観光客にとってはいかにも不似合いなので、一回りして帰路に就きました。若い人たちにとっては、達成感があるのかもしれませんが・・・。

2017ドイツ滞在記(8)~ワイマールと《ヨハネ受難曲》2017年07月02日 20時44分41秒

16日、金曜日。昼間どこに出かけようかと、朝食の場で話し合いました。いくつかの候補から、ワイマールに決定。テューリンゲン州なので、やはり遠征です。

メンバーは、私より先にお生まれの女性2人と、後からお生まれの女性1人の4人です。責任感にかられた私は、じゃ先に切符を買っているからと、急ぎ足で駅へ向かい、自動販売機の操作を始めました。

こちらの自動販売機は、電車の時刻や乗り換えルートも表示されるという長所もあるのですが、反面たくさんの選択肢が次々とあらわれ、不必要なところへ迷い込んでしまう恐れがあります。

この日もそうなってしまい、妙な画面に入りこんで戻ろうにも戻れず、パニック状態に。私は意外に、こうしたとき冷静さを失うタチなのです。すると、私より後に生まれた方が追いついてこられ、英語画面でスイスイと操作し、4人分をゲットされたではないですか。私の責任感には、実行力が伴わないんですよね(泣)。

ワイマールで下車してからも、じゃここまではタクシーに乗りましょう、ここから歩けばここまではすぐですよね、という感じで、私より後に生まれた方が、水際だった仕切り。ちなみに私はワイマール2回目ですが、この方は初めてとか(汗)。

ゲーテとシラーの銅像のある国立劇場からシラーの家を通り、リストの家に入りました。


落ち着いた好ましい小邸宅で、指揮者としてワイマールにやってきたリストが、堅実に音楽と向かい合うようになっていたことがよくわかります。その周囲にはじつに大きな公園が広がっていて、ワイマールの自然豊かな環境に感嘆。皆さんの足取りの、生き生きしていること!


そんな自然の中に、ゲーテの山荘がありました。執筆のかたわら、自然の研究もしていたわけですね。


公園→図書館→宮殿のルートを採り、ヘルダー教会の聳える広場へ。宮廷礼拝堂オルガニストだったバッハは、この教会で弾いていたJ.G.ヴァルターと親交を結び、彼からさまざまな情報も得ています。食事は、この広場で。


教会の左側の建物に、下のプレートがありました。「ここに、バッハが1708~1717年に住んでいた家があった。ここでフリーデマン・バッハが1710年11月22日に、フィリップ・エマヌエル・バッハが1714年3月8日に生まれた」と書いてあります。バッハにとって重要な9年間がここで送られたわけですね。


などなどしているうちに時間がなくなり、タクシー乗り場までたどりついた段階で、むずかしいタイミングに。持っている往復切符は、一駅西のエアフルトまで行き、そこから東に向かう急行で(ワイマールを素通りして)ライプツィヒに向かうよう指示しています。そこで、ワイマールまでタクシーで行き1台後の鈍行に乗るか、エアフルトまでタクシーを飛ばして予定の急行に乗るかという二択に直面しました。

私の選択は、思いきってエアフルトまで飛ばすべき、というもの。急行発車まで40分弱、運転手さんの答は「所要約30分」ということで、渋滞したらアウトの賭でした。

しかしこれがみごとに成功し、余裕をもってライプツィヒに帰ることができました。このことは、私の信頼性を物語る逸話として、大いに強調しておきたいと思います。広めていただいて結構です。

その夜は、ツアー最後のバッハ《ヨハネ受難曲》公演。出演はゴットホルト・シュヴァルツ指揮の聖トーマス教会合唱団とフライブルク・バロック・オーケストラです。トーマス・カントルがシュヴァルツに交代してから聴くのは初めて。第4稿によるという情報を得ていましたから、事前の解説会では、第4稿の違いやその意図について、とくに力を入れて説明しました。


会場はトーマス教会で、祭壇の近く、はるかに演奏席を見渡せるところです。「良かった、見える!」と喜んでいるお仲間も。教会のコンサートでは見える席はレアチケットですから、入手に苦労する、という話を聞きました。

演奏が始まってしばらく、そんな~!と思う出来事が!演奏されているのが1739年の修正を取り入れた一般稿で、第4稿ではないのです。結局、楽器編成のみ第4稿(したがってヴィオラ・ダモーレもリュートも出てこない)、後は全部普通のままであることがわかりました。プログラムには何も触れられておらず、どこかで方向転換したのかもしれません。

全体として、指揮者が何をやりたいかよくわからない演奏でした。合唱団は声はよく出ていましたが、表現としては平板で、めりはりがない。ソリストはダニエル・ヨハンセン(福音書記者)、トビーアス・ベルント(イエス)、ドロテー・ミールツ(ソプラノ)、ベンノ・シャハトナー(カウンターテナー)以下最高クラスが揃っていて、第一級の出来映え。ただ、動かない合唱の前で自分たちがドラマを造らなければと思ったのか、かなりの奮戦モードになっていました。それを聴いていて、やはり昨今の「コンチェルティスト方式」は正解だなあ、と思ったことでした。ソロと合唱が、連携して動けるからです。

こういうクールな感想になった一因は、席にもあったと思います。演奏席から遠く、たしかに見えるが、音が来ないというもどかしさがつきまといました。やはり響きの中に包まれてこそ、音楽の感動は実感できる。基本的に音響のいいトーマス教会で、ニコライ教会の《ヴェスプロ》とは逆の、皮肉な結果になりました。皆様には、教会で音楽を聴かれる際には目より耳を優先して席を選ばれることを、衷心からお薦めします。

2017ドイツ滞在記(7)--大遠征の不運と幸運2017年06月30日 01時46分10秒

15日(木)は、8:00発ちで、バッハが生まれ育ったテューリンゲン地方へ大遠征。こうしたオプショナル・ツアーは今回初めて組みましたが、やや強行だったかもしれません。

アイゼナハに直行して、バッハ博物館へ。楽器のデモンストレーション(今回は鍵盤楽器)がここの魅力ですが、陳列されている古文書群がだいぶ充実したという印象があります。古い祈祷書や讃美歌集の展示は、私には興味深いところです。

そのまま、ヴァルトブルクへ。この日はバイエルン州が休日なのだそうで、ずいぶん人が多く、中に入るのはあきらめました。端に高い塔があるのですが(十字架が切れてしまいました、ごめんなさい)、そこに初めて登ってみました。80代の方々も、皆さん登られましたよ!

塔の上からは、なつかしいテューリンゲンの森が、さえぎるものなく見渡せました。その昔、歌合戦で集まって来た貴顕は、たいへんだったでしょうね。森の中に孤立したお城ですから。



昼食後ルターの家は割愛し、まっすぐアルンシュタットへ。ところが、途中で大渋滞が発生し、バスがほとんど進まなくなってしまったのです。時間はどんどん過ぎてゆく。夜コンサートに行く方もおられるので、焦る気持ちが募りました。

それでもなんとか渋滞を抜け出し、アルンシュタットへ。市庁舎のある広場の斜め向こうに、バッハが勤めた新教会(現・バッハ教会)があります。



ここに着いたのが、16時20分ぐらいだったでしょうか。教会は16時で閉じられていました。大遠征の甲斐がなく、みんながっかり。

皆さんがインフォーメーションで買い物などをされている時、私が1人離れて広場で眺めていると、なんと女性が1人、鍵を開けて教会に入っていくではありませんか!さっそくペトラさんに報告すると、ペトラさんは一目散に教会へ。10分間見学できることになった、と戻って来られました。みんな大喜び。

入ってみると、女性の代わりに上品な牧師さんが。そのご説明によると、とても高いところに設置されたオルガン(写真は撮りませんでした)は70%バッハ時代のもので、その下、見えないところに後代のヴェルクが2つある、とのこと。小さな教会ですが、すがすがしい空間でした。遅れたからこそ、牧師さんとお話できたわけですね。不運と幸運の関係が、よくわかります。


教会のプレート。バッハが1703-1707年、この神の家に最初のオルガニスト職を得て活動した、と書いてあります。18~22歳ですから、大学生の頃ですね。

旅はさらに、ほど近いドルンハイムへ。バッハがマリーア・バーバラ・バッハと結婚式を挙げたところです。私は初めて訪れましたが、気のせいかあるいは仕掛けなのか、なんとなく恋のムードが漂ってくるようでした。日本から式を挙げに来る方もおられるそうです。アルンシュタットで知り合ったバーバラとここで挙式しようと約束していて、新しい任地ミュールハウゼンから歩いてきたのだろう、というお話でした。歴史が身近になる瞬間です。


夜は多くの方と、ニコライ教会前の有名店で夕食を摂りました。

2017ドイツ滞在記(6)--ラファエル・ピション、感動の《ヴェスプロ》2017年06月27日 23時11分41秒

14日(木)、アルテンブルクからとって返した私は、ホテルの一室で、皆さんに作品解説。今夜の曲目、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》についてです。この曲こそ私の「無人島」の1曲で、さすがのバッハもこれにはかなわない、と言ったところ、「え~!」という声があちこちから。平素から言っていることですが、やっぱり意外に思われるようですね。

開演は20時、会場はニコライ教会です。ニコライ教会はもちろんトーマス教会と並ぶ歴史的教会なので、大事なコンサートがたくさん振られますが、見やすい反面、音響効果がどうも良くない。音がみな、上へ抜けていってしまうのです。それがマイナスにならなければいいが、と思っていました。

席は最上階の横3列目(最後列)。ステージは、立たないと見えません。でもその時思ったのですね、音が上へ抜けるのであれば、ここに響きが集まってくるのではないかと。

まったくその通りだったのです。響きの真ん中にいて、全身豊かに包まれる感じ。ニコライ教会にこんなにいい音の席があるとは、いままで知りませんでした。

すぐ左のオルガン席に、テノールが1人上がってきました。それが先唱者だったわけですが、先唱したのは冒頭曲のインチピトではなく、〈天にましますわれらの父よ〉の聖歌(アンティーフォナ)。しかしグレゴリオ聖歌風に歌うのではなく、1音1拍に取りながら、強い声で歌う。次に〈アヴェ・マリア〉が同様に聖歌として歌われ、《ヴェスプロ》冒頭曲へと、爆発的に流れ込みました。

33歳のラファエル・ピション指揮するピグマリオンが、しっかり作り込み、闘志満々でやってきたという印象です。解説書に、マリア崇敬のこの曲がプロテスタントの教会で演奏されるのは今でも普通のことではないのだ、と書いてありました。だからこその、この意欲だったのでしょうか。

古楽器・古楽奏法ですが、声楽の編成がかなり大きく、しっかり声を出すために、音響効果と相まって、身体をゆさぶられるような迫力があります。テノール三重唱による〈サンクトゥス〉の歌い交わしなど、鳥肌もの。そうなってみると、一見奇妙なアンティーフォナの唱法も、モンテヴェルディの音楽と、ぴったり符合しているのですね。これも、ひとつの行き方かもしれません。

〈ソナタ〉の後に長いつなぎが入りました。ふと気がつくと、声楽が全員オルガン席に登ってきていて、ピションもやってきた。そしてここ、すなわち目の前で、最美のクライマックス、《めでたし海の星》が始まったのです。この曲は変奏の間に器楽が入りますが、器楽は下に残っていて、あたかも天使に囲まれた被昇天のマリアに、地上からあこがれのまなざしを送るかのよう。会場が水を打ったように聴き入っているので、教会空間に妨げはありません。

声楽はテノール歌手1人を残して下に帰り、マニフィカトが圧巻の盛り上がりを作り出しました。そこにさらに聖歌を入れ、冒頭曲を反復し、礼拝の枠組みを完成させて終了。

気がつくと、左の女性も右の女性も、全身わななくように感動しておられるのですね。私もそう。じつは、この大事な公演にどうしてピションなのか、と思わないでもなかったのですが、よくわかりました。ピションを切り札と認識するからこそ、この公演が託されたのです。

ホテルに戻ったところ、入り口に同行の方々が整列され、拍手で私を迎えてくれました。これを聴くためだけでも来た甲斐があった、と何人もの方がおっしゃいましたが、私もそう思います。