逆戻り2016年06月12日 18時04分15秒

昨日のスポーツ新聞に、「巨人、五割に逆戻り」と出ていました。

好きではあるが、ずっと不思議に思っていたのが、この「逆戻り」という言葉です。単に「五割に戻る」じゃ、なぜいけないんだろう。意味上、「逆」は必要ない。それなのについているには、強めの働きだろうか。たしかに効果的ではあるが・・などと、いつも思っていたのです。

ふと気がついたのが、この言葉の不可逆性です。勝ち越していたのに五割に落ちてきたのであれば「逆戻り」と言うが、負け越していたチームが五割を回復した場合には、「逆戻り」とは言わない。望ましくない方向に戻るのが「逆戻り」であって、望ましい方向に戻る場合は「逆戻り」ではない、ということのようです。

そこで『新明解国語事典』を引きました。「以前の場所や好ましくない状態にふたたび戻ること」だそうです。なるほど、すっきりと理解できました。

そうすると、今日は「巨人、借金生活に逆戻り」となるわけですね。日本語の話題をお届けしました。

DuとSie2016年04月28日 08時57分37秒

「そんなことをしているのは、先進国では日本だけだ」とよく言われますね。そういう言葉を聞くと反射的に、すべて欧米並みになれば日本はよくなるのだろうか、という思いが湧きます。失ってはならない良さも、いろいろあるはずですから。

たとえば、敬語。多種多様な敬語をきれいに使いこなすのは一生かかってもむずかしいことで、外国人には大きなハードルに違いありません。でも、"I"にも"you"にもたくさんの語彙がある日本語は、すばらしいと思います。

翻訳では、それが難題を投げかけます。敬語らしい敬語のない文章に、敬語や丁寧語を種々盛り込んで、日本人の感覚に合わせていく必要があるからです。こういう状況が、日本人の細やかな感受性を培ってきたことは間違いありません。

ドイツ語には2つの二人称系列(DuとSie)がありますよね。二人称の本筋はDuで、Sieは三人称複数からの代用ですが、初級でDuを教えないやり方もあるようです。でもDuの感覚はきわめて重要ですから、後回しにするのは、本当はよくないはずです。

よく、神様にもDuでいいんですか、と尋ねられます。Duは身内への砕けた言い方、Sieは丁寧な言い方、という風に、どうしても覚えてしまうからです。しかし多くの方がご存じのように、Duは親称。心の近くにいる神様にSieを使ったのでは、祈りになりません。

Sieで話していたドイツ人と親しくなり、Duで話す(duzen)ようチェンジする瞬間が訪れます。これは結構、神経を使うことです。

何年前だったでしょうか、一つの思い出があります。記憶に間違いがなければ大阪のお寿司屋で、クリストフ・ヴォルフ先生とお話ししていました。もちろんSieでです。すると先生が突然居ずまいを正され、「礒山さん、提案があります」と切り出されました。「これからDuで話しましょう」とおっしゃるのです。もちろんありがたいこととお受けし、乾杯しました。その折の先生の高揚した面持ちが、強く印象に残っています。以来、「タダシ」「クリストフ」と呼び合っているわけですが、ああこれがドイツのよき伝統なんだな、と思ったことでした。

3月に福島でアンサンブルコンテストの審査員を務めたことをお話ししましたね。その折りにご一緒したのが、タリス・スコラーズのピーター・フィリップスさんでした。ドイツ語で話せたらありがたいなと思ってもちかけたところ、OK、何でもない、とのこと。さっそくSieモードになった私ですが、意外にもフィリップスさんはDuで話しかけてこられ、大いに面食らいました。

最近は、初めからDuでも当たり前になっているのだと思います。それだけに、ヴォルフ先生の「儀式」に接したのが、ありがたくも貴重な思い出です。

爛熟の美2016年02月23日 06時18分31秒

廿日市から広島に戻って宿泊。翌日(19日、金)は14:00から、西宮の阪急中ホールで、尼崎に本拠を置くピッコロ劇団の公演があります。

間に観光を入れたいなと思っていたのですが、結局福山でお城を往復するだけになりました。まずその写真を。

・・というつもりだったのですが、おとといからスマホが見あたりません。出てきたら掲載しますね(泣)。

前日は樋口一葉が主役でしたが、こちらは谷崎潤一郎。「天空の恋~谷崎と猫と三人の女」と題されています(作演出・G2)。関西の文化を愛した谷崎の人生と創作を関西の生活文化の中から描き出し、その意味を探ろうとするお芝居でした。

これが、すばらしかった。島田歌穂(松子)と桂春蝶(谷崎)のお二人が客演、他の出演者は劇団員+オーディション、とのことなのですが、皆さんたいへんお上手で、水も漏らさぬ連携。古き良き時代の大阪の典雅が、舞台上にふくいくと再現されているのです。

ユーモラスな進行、随所に小説の引用をはさむ、というのは前日の一葉と同じでしたが、引用の効果は、時代の差があるとはいえ、こちらが上。『細雪』の誕生にからめて作ってあるクライマックスでは、何度も読んだこの大好きな小説が脳裡に押し寄せてきて、帰路を幸福感で包んでくれました。演劇もいいですね。

〔付記〕意外なところから、スマホ発見。福山城です。


市街地に埋まって、すてきな教会が。


敬語の衰退2015年05月09日 11時04分35秒

最近は皆さんツィッターをなさるようで、その流行は年齢や職業を超えているようです。私に勧めてくださる方もおられます。

テレビの番組にも、随時ツィッターの流れるものが増えてきました。リアルタイムでレスポンスできるのが売りであるようで、「視聴者参加」を実践される方には、魅力があるのだと思います。

しかし私はどうも、それを楽しむ気持ちになれません。その理由として自分的に大きいのは、字数制限が厳しいツィッターでは、敬語が省略されがちであることではないかと思われます。ツィッターのみならず、概してネットの発信では速さ、短さが重んじられるため、敬語を使わない傾向がありますよね。私は、知らない人同士のコミュニケーションにはやはり敬語の効用が大きく、ささくれだったやりとりや言いっ放しの批判にならないためにも、敬語は必要ではないかという意見です。

来週の放送でも言いましたが、外国語の簡潔さに比べると日本語の敬語は音節の過剰を招いて、まだるっこしい面があります。Komm, Jesu, kommは4音節で、音符が4つあれば処理できますが、これを「来てください、イエスよ、来てください」と訳すと16音節になってしまい、音符に当てはめて歌うことは、できない相談です。

でもそれが、日本語の良さでもあるわけですよね。美しい日本語が、敬語込みで受け継がれていくことを願っています。

「あ」の母音2012年12月23日 07時06分24秒

私の名前は、7シラブルのうち4つが「あ」の母音です。そう思ってみると、日本の地名、人名には、5母音のうち「あ」を使ったものが圧倒的に多い。私が住んだことのある地名でも、上山田、高崎、蓮田は「あ」が中心です。そのことに、妙に心惹かれる昨今でした。

昨日総武線に乗っていて、思わず耳がそばだちました。隣に座ったアメリカ人が「NAKANO」の発音を練習していて、ナにアクセントを付けたり、カにアクセントを付けたりしている。そして、「同じ母音が続く言葉は発音がむずかしい。英語にはそれは少ない。とくにaの母音はほとんどない」と言ったのです。ほう。

ドイツ語もそういえばそんな気がするので、人口10位までの都市名を調べたところ、「ア」を含むのは、ハンブルク、フランクフルト、シュトゥットガルトのみ。ちなみに母音の数は、合計20です。イタリアはずっと「ア」が多くなりますが、日本には少ない「イ」が妙に多いのは、意外。

日本の人名、地名を考えてみると、たとえば次のような漢字を含むものは、「オールA」の可能性をもっています。中、高、田、坂、山、川、片、正、楢、畑、花、浜、原、若、笹、鎌、茅、朝、穴・・・まだまだありますね。明るい響きが好まれるのでしょうか。

パラグラフの衰退2012年12月07日 10時39分16秒

先日、会話が延々と連なる小説は冗長でちょっと、というお話をしました(もちろん谷崎潤一郎の《細雪》などは別格です)。その理由を考えていて思い当たったのは、会話が連なるとパラグラフの縛りがなくなる、ということです。パラグラフごとに定着する趣旨をとらえ、積み重ねて追ってゆくことでメリハリの利いた読解が可能になるわけですから、その区切りがあいまいになると、冗長になる可能性は高いと思われます。

先日亡くなった作家の方が、今の書き手はワープロを使うので文章が粗雑になる、という趣旨のことを述べておられました。私は逆の考えなので意外だったのですが、よく考えてみると、上のことと関係があるのかもしれません。アイデアを単文で打ち込み、文章へと仕上げていくアウトライン・プロセッサーのような文章作法。単文が自立する、ツィッターの世界。コマを並列する、マンガの感覚。単行本でも、文ごとに行を改める印刷をよく見かけます。電子化の時代が、パラグラフへの意識の希薄化、パラグラフの短縮化に、拍車をかけているようです。

古いかもしれませんが、私の感覚は違うのですね。パラグラフを一定の長さにすることで緊張感をもたせ、パラグラフ相互の関係を調整することで文章に流れと勢いをもたせることが、文章のコツであると、私は思ってきました。少なくとも論理的な文章はそうあるべきではないかと、今でも思います。そのために、パソコンで文章を書くことはとてもいい、と思うのです。広い範囲に目を通しながら、細部をいくらでも推敲できるからです。原稿用紙を使っているころは、その作業をある程度で打ち切らざるを得ませんでした。

というような感覚なので、パラグラフの衰退が、気がかりです。

日本文化への愛2012年02月28日 12時45分06秒

後期博士課程の入学試験が始まりました。今朝は9時に出勤しましたが、それも今日が最後です。

昔誰が読むのだろうと思っていた新聞の社説を、最近は読むようになりました。テレビでも、ニュースを中心に、討論番組や国会中継を見たりしますから、人間、変わるものですね。夜はBSフジの「プライム・ニュース」をよく見ます。そこに昨日、ドナルド・キーンさんが出演されました。

キーンさんが日本文学の優秀な研究者であられること、日本愛が嵩じて震災後の日本に永住する決心をされたことは、皆様もご存じでしょう。2時間番組なので日本文学、日本文化、日本人に関するさまざまなお話をされましたが、その造詣の深さと愛の深さにほとほと感服し、(最近の常として)涙を禁じ得ませんでした。

当初は古文から入られ、近代文学に関心を広げられたとのこと。古代から現代にわたる文学作品の中から、日本語の美しさ、通底する美意識を読み取って洞察しておられるのです。源氏物語、徒然草、日記文学、細雪・・・。和歌からは新古今集を挙げられましたが、これは私も共感。能の詞章につながる世界ですね。

こういう外国人の方がおられるのだから、われわれはもっと日本の文化、先人たちの遺した芸術や風土を大切にしなければなあと、心から思った次第です。西洋音楽を研究している私ですが、やはり日本人の目があってこその、日本における西洋音楽研究だと思います。

続・アクセントの話2010年08月10日 22時07分18秒

いまどきのアクセントについて、コメントで熱い/厚い議論が続いています。私は長野県育ちですが、長野県は濃厚な方言をもたない反面、アクセントに細かな違いがある、と認識して来ました。私の生まれは東京で家では東京言葉を使い続けていましたから、アクセントへの違和感は、ずっと解消しませんでした。

最近は、須坂の方々とお話しする機会が多くあります。そこで気がつくのは、須坂の方々に、かつて「長野県」と思っていたアクセントが、ほとんど見あたらないことです。これは中信と北信の違いなのでしょうか、それとも、時代による変化が加わっているのでしょうか。はたまた、公の場でみなさんが標準語を話しておられるからでしょうか。

昔の松本と今の須坂を比較するにあたり、話を地元の地名に限りましょう。「長野」はどう発音するでしょうか。カタカナを高い部分、ひらがなをが低い部分とすると、松本が「なガの」(!)であるのに対し、須坂は「ナがの」です。「松本」は、たとえば「松本へ行く」という場合に松本は「まツモトへ〔ひらがな〕いく」となるのに対し、須坂は「まツモトヘ〔カタカナ〕イク」となり、東京と同じです。などなど、今の須坂ではほとんど、言葉の違和感を感じないのです。

この話題でコメントをくださったClaraさんは、どうやら私より少々年上の方でおありのようです。いつも精彩のあるコメントをくださいますので、年長、というイメージは浮かびませんでした。

昔は国語の時間のアクセント指導が厳しかったとのこと、たしかにそうですね。私も、ドイツ語のアクセントの誤りは厳しく指導しますが、日本語の場合はかえって注意しないことに気がつきます。方言にも価値を認めなくては、という心理があるのと、自分でも自信のない場合が多いからかもしれません。国語の入学試験問題で、アクセントの問題ってありますか?中学の国語の時間で「おやおや」をアクセントづけする問題が出たことを、鮮明に記憶しています。私は「おヤオヤ」と回答したのですが、正解は「オやオや」でした。これは両方ありますね(笑)。

力士の日本語2010年08月06日 18時32分26秒

新聞に、白鵬のスピーチのすばらしさを賞賛する記事が出ていました。私もまったく同感です。語彙の豊富な、格調の高い語り口で、配慮があり、責任感もにじむ。これだけのレベルでスピーチできる日本の若者がどのぐらいいるだろう、とさえ思ってしまいます。

それにしても、相撲界の外国人は、みな立派な日本語を話しますね。このことは、どんなに外国人が増えても相撲はやはり日本のものだと感じさせる上で、大きな働きをしていると思います。野球の選手なんか、何年いても通訳なしでは話せませんものね。

要するに、どんな人でも環境が導けば、外国語をしっかりマスターできるのです。誰も母国語では助けてくれず、日本語に必死にならざるを得ない、という環境が必須条件。通訳付きを売りにする部屋が出てきたりすれば、このレベルはたちまち瓦解してしまうでしょう。

日本に移住して何年も経たないうちにむずかしい日本語を完全にマスターして生活できるなんて、たいしたものですね。尊敬に値します。このことを含め、相撲の世界に数々の美風があることも、考えてあげたいと思います。

アツい?2010年07月31日 23時25分27秒

最近気になって仕方がないこと。

「アツい思い」、「アツい言葉」っていいますよね。「アツい男」というのもあるか。皆さん、言ってみていただけますか。

「アツい言葉」を例にしましょう。「つ」から「ば」までを、高低アクセントの高い方で発音された方は、どのぐらいおられるでしょうか。また、「ツ」のみをとりわけ高くされた方、どのぐらいおられるでしょう。

私は、後者です。後者がこそ「熱い言葉」であり、前者は「厚い言葉」であると確信している。ところが最近は、このきわめてよく使われる言葉を、前者のように発音する人がほとんどなのです。ニュースを読むアナウンサーさえ、そう。聞くたびに切歯扼腕なのですが、これは変化なのか、誤用なのか、流行なのか、それとも何らかの根拠があるのか、どうなのでしょうか。