熊本の春2017年04月15日 01時26分41秒

昨日(4月14日)は、大地震後一周年を迎えた熊本の映像が、どのチャンネルにも流れたと思います。私も行ってきました。ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞というプロジェクトに関われていることが嬉しく、祈念賞がらみの行事で、熊本の土を踏みました。

うららかな日。飛行機を降りるだけで、伸びやかな解放感に包まれました。こんないいところはそうそうない、というのが実感されます。復興も、思いの外進んでいるよう。ウィーン・フィル・メンバーの弦楽四重奏は県庁と熊本城で行われましたが、その献身的な音楽への姿勢には、いつもながら頭が下がります。

当日のメインは、九州交響楽団にウィーン・フィルの4人を加え、さらに日本各地のオーケストラからの参加者と有志合唱を加えて、マーラーの《復活交響曲》を演奏すること。演奏が終わったタイミングで1年前地震がまさに起こった時間が来るため、そこで黙祷する、という計画です。

それに合わせて、熊本芸術劇場におけるコンサートの開始が20:00。これを聴くと、東京に帰れません。そこで、中途半端で申し訳ないことでしたが、ゲネプロのみに出席して帰路に就きました。土曜日午前中に「たのくら」の例会があるためです。福岡でつなぎ宿泊して一番機という案も考えましたが、飛行機が少しでも遅れるとアウトになるので、大事を取りました。

熊本城の広壮さにはびっくり。その広場にあった見事な木と、名残の桜をご覧ください。今年は熊本で合唱コンクールがあるため、再訪する予定です。




よく尋ねられること2015年09月17日 11時13分01秒

オリンピックの話題にからめて、著作権のことを尋ねられることが多くなりました。音楽ではどうなのか、昔はどうだったのか、といったことです。全部は論じられませんが、こういうこともある、ということをお話しします。

ことが重大になるのは、大きなお金が動く場合です。ある人のアイデアを使って他の人が大もうけするというのは、誰しも許容できない。もうひとつは、名誉にかかわる場合です。学位を取る、受賞する、といったことに盗用がからむと、ことは重大になります。コピペが何十ページもある博士論文などは、弁護の余地なしです。

分野によって常識が異なることはあるでしょうし、小さくないかもしれません。たとえば、創作と研究です。

私は研究の側ですから、正確な事実を知り、まっとうな考え方を発見したいと思って、つねにやっています。仮にそれが多少できたとして、正確な事実やまっとうな考え方というのは、私の所有物ではないですよね。少しでもそれが広がれば嬉しいし、そこに私の存在がからむ必要はない。これは誰それの考え方だ、という注釈が必要なのは、むしろ検証されていない新説や、特殊な考え方に対してです。(もちろん、専門的な論文執筆の場合は、出典の記述等、細心の注意が必要になります。)

創作は、どうでしょうか。権利の問題が、ずっとシリアスにからんできそうです。とはいえ、たとえばある旋律がパクリかどうかの線引きは、とてもむずかしい。歴史上の音楽を見ればわかるように、よく似た旋律というのは掃いて捨てるほどあるからです。音階とかドミソとか、音楽の基本ルールに従うなら、ある程度の類似は、当然発生します。しかしほんのわずかの違いが印象をがらりと変え、まさにそこに創意工夫が見てとれることも少なくありません。その中には、既成のモデルから出発した、という場合が隠れている可能性があります。

でもそうした場合に、もとのものと同じだからけしからん、ということが言えるかどうか。また、他と似ないように、という意識が先に来ることが、創作にとってもプラスであるかどうか。もっと根本的に言えば、名旋律があるとして、それはすべて作った個人の誉れなのか、あるいは才能を含めて、神様からいただいたものなのか。こうしたことが全部からんできますから、著作権の問題は複雑なのです。

コマーシャル2015年05月22日 11時59分03秒

CSのチャンネルを切り替えながら野球放送を見ていると、コマーシャルの時間がひんぱんで、かつ長いことに気がつきます。コマーシャルに入ったのでチャンネルを切り替えると、そちらもコマーシャル、ということがちょくちょくある。サッカーではないことでしょうから、スポンサーにはありがたいのが野球放送だと思います。ちなみに宣伝対象の大半は、健康食品です。

1つのコマーシャル時間は長めで、起承転結のある同じコマーシャルが、延々と繰り返される。試飲、効用の報告、などなど。繰り返し見ていて一番辛いのは、顔の知られていない俳優を起用してしっかり演技させ、効果満点に作ってあるものです。見るたびに、作為が気になってくるからです。しかしそういう反応は、作る側は想定していないように見受けられます。

げんなりしてチャンネルを切り替えながら、ふと気がついたことがあります。私は男性がやっているその手のコマーシャルはとても気になるのですが、女性がやっていると、ほとんど気にならない。そもそもどの人が女優で、どの人が一般人かも、よくわかりません。

ことほどさように異性のことはわからない、という、これは証明なのでしょうか。女性のご意見を伺いたいものです。優さん、いかがでしょう(笑)。

好きな番組2015年05月13日 10時17分10秒

前ほどテレビを見なくなりましたが、在宅していると必ず見てしまうのが、NHK日曜日夜の「ダーウィンが来た!」です。美麗な映像で展開される自然界のドラマに毎度引き込まれ、驚嘆しきり。たいへんな手間をかけて作成しているにちがいありません。

珍しい動物の珍しい生態が次々に紹介されますが、子孫を残すために動物に与えられている知恵は、すごいものですね。複雑にして高度なプログラムが、遺伝子に刷り込まれているというわけですね。

感想としてあるのは、自然界の生存競争はまったく厳しいものだなあ、ということ。その中で子孫を残していくためには、一定量の犠牲を織り込む繁殖プランが必要のようです。生存競争は基本的に、異なった動物との間で行われる。天敵というのもあります。同種のオス同士が縄張りやボスの座をめぐって争う光景もよく出てきますが、それにも生存競争のためという合理性があるようです。

番組がしばしば感動的に思えるのは、動物の生き方の中に、人間にとって学ぶべきものがあるからでしょう。動物は、みんな必死で生きている。動物は、連携して命をつないでいこうとしている。動物は、同種間で殺し合いをしない--そうした動物たちが激しい生存競争の中に投げ込まれている世界とは、何なのでしょうか。

不思議な光景2015年03月26日 08時02分44秒

日曜日は郡山へ。{ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」の委員をしていますので、助成を差し上げたコンサートを聴き、贈賞セレモニーに出席するのが役割です。

対象は京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサート。「音楽でつながろう!福島~京都~ウィーン」と題されています。この日のために、ウィーン・フィルから5人のメンバーが来日しました。朝着いてリハーサル、翌日コンサートを終えて空港へ、という超過密日程だそうで、重要公演の合間を縫って飛んできてくれたのには、驚くやら、感心するやら。演奏における存在感、被災地への激励効果も、並外れたものでした。

後半、《第九》の第4楽章には、地元郡山の中学生が、声楽、器楽の双方に、大挙出演しました。いかにも日本的な、おとなしい少女たち(少年もいます)ですが、演奏レベルはたいしたもの。音楽で出会う、つながるというのはこういうことなんだなと思い、不思議の感に打たれました。

ただ往復するのはつまりませんので、宇都宮で下車し、餃子を正味。新幹線に乗り直すと、なんと同じ車両の同じ列に、いつも仕事をご一緒している作曲家の西村朗さんがおられるではありませんか。一駅の間談笑しましたが、こういうことが起こること自体、福島県が音楽王国であることの証明だと思います。

とても良かった「鳥の劇場」2015年03月19日 14時53分15秒

土曜日は、豊橋での仕事を終えたあと姫路に入りました。ここを根拠地として、日曜日に鳥取県の「鳥の劇場」を往復しよう、というのです。

廃校を利用して運営されている「鳥の劇場」の活動は、斯界で有名。私の関心は、掲げられている高い理念が、過疎を語られている県の、それもかなり奥まったところでどのように実現されているのだろうか、というところにありました。

鳥取県を訪れるのは、生まれて初めて。早めに着いたので鳥取市内を城址のあたりまで散策し、昼食の後ローカル線に乗って、浜村駅へ。そこから送迎車に乗せていただき、劇場に到達しました。一帯は温泉地のようです。

廃校の利用ですから環境は質素そのものですが、びっくりしたのは、雰囲気の温かさ。訪れた観客が心地よく過ごせるように、バリアフリーの観点も含めて、細やかな配慮が徹底しているのです。

上演される戯曲は、つかこうへい作の『戦争で死ねなかったお父さんのために』というもの。私にはこれまで、縁のなかった領域の芝居です。200席ほどの劇場に入ると、お父さん役の高橋等さんが、満面に闘志をみなぎらせながら、ああでもないこうでもないと、台詞の稽古をしている。ベースは学校の演劇部で、つか戯曲は、劇中劇として設定されるようです。

最初は開演までの時間つなぎかと思いましたが、やがて、その狙いが判明。ドラマの要所で重要な役割を果たす台詞を、あらかじめインプットさせておく意図なんですね。その効果は絶大でした。これは一例ですが、力強い原作にクールな枠組みを与えることによって、戦争と人間の関係に、複雑かつ多重な方向から光が当てられるようになっている。イデオロギーで切り捨てることのできない人間の思いを、さまざまに体験しながら芝居を観ていけるのです。

芸術監督を務める演出家、中島諒人(なかしままこと)さんがおっしゃる「演劇に何ができるのか」という探求はこういうことだったのかと感心し、勉強になりました。高橋さんの熱演はすばらしかったですが、オテロかジークフリートかというテノール歌唱にも仰天。こうした俳優さんたちがチームワークよくここに腰を据えていることも、劇場の理念あればこそだと思います。アフタートークの後、中島さんとお話しし、写真も撮らせていただきました。応援したい活動です。



コピペについて2014年05月09日 21時38分50秒

ニュース等に、よく「コピペ」という言葉が出てきます。おおもとにある問題はさておき、私の体験的コピペ論を書かせていただきます。

授業の最後に、試験をする場合と、レポートを課す場合がありますよね。試験でカンニングをするのは、誰が考えてもいけないことです。レポートにおけるコピペも、実質的にはカンニングと同じだと、私は思っています。自分で考え、文章化して提出するべき課題に対して、他人が考えたこと、他人がどこかに発表した文章を、あたかも自分が書いたかのようにして提出するからです。

レポートを読んでいると、これはコピペではないか、手書きであれば、どこかの丸写しではないかという文章に、よく出くわします。妙に訳知りな文章、やけに完成された他人行儀の文章は、疑わざるを得ません。

残念なのは、たいていの場合、疑わしくとも証拠がないことです。突き止める努力をすべきだ、というのは正論ですが、たくさんあるレポートのひとつひとつについてルーツを探して回るというような作業は、気の遠くなるようなことで、普通はできません。では、どう採点するか。

論文やレポートでは、ほとんどの先生が、参考文献を明示せよ、と指導されていると思います。もっといいのは、それを明示した上で、筆者の意見と自分の意見を区別して書くことです。文献にこう書いてある、だから(or こう書いてあるがしかし)私はこう思う、という風に、たとえ小さなレポートでも書くべきなのです。私もそのように指導しています。しかしなかなか徹底しませんので、本当に自分で考えたのかどうかわからない、というものが出てくるわけです。

出所不明のものにいい点は出しませんが、かといって、落第させるのもためらわれます。こういうレポートを出す学生には、多くの場合、わからなければもうけものとか、どうせわからないだろう、という意識があるのではないかと思います。受験社会で育っているのだから、悪いことだという意識はあるはずですが、この授業ならいいだろうとか、あの先生ならわからないだろうとか、甘く見ているわけです。

学位のからむ論文のような場合、コピペはもちろん厳禁です。すべてに、出典の提示が求められます。しかし、序文なり一定部分なりを丸ごとコピペしても、出典を明示しておけば大丈夫だということではありません。自分の学説を組み立てるのは、問題提起から結論に至るまで、自分自身にしかできないからです。

私は、自分なりの文章で学問的成果を綴ることに苦心惨憺している若い人たちを、間近に見てきました。ですから、そのけじめが失われるような風潮、またそれを許容するような言論を、残念に思います。

南太平洋2014年05月07日 22時54分18秒

オランダ旅行中には、日本でもいろいろなことがあったようです。それによって押し出され、報道もされなくなったのが、南インド洋におけるマレーシア機の墜落事件。飛行機に乗る前に起こったことですので、関心をもってウォッチしていました。

南半球に行ったのは一度だけ。北オーストラリアのケアンズです。中学のとき「南太平洋」というミュージカル映画に魅了されて以来、南へのあこがれがずっと心にありました。まあ「南太平洋」という映画はハワイ・カウアイ島でのロケで、現実には北太平洋だったのですけれど。

でも事故の報道でわかったのは、南半球というのはそんなに甘いところではない、ということです。陸が少なく大半が海である結果、強風が吹いて海はたえず荒れ、「吠える40度・狂う50度・絶叫する60度」という言い方があるとか。南インド洋は地球でもっともわかっていない地域だ、という報道も読みました。

陸地が多く、人がたくさん住んでいる北半球は、恵まれているということなのですね。南半球に乗り出した昔の船乗りたちは、勇敢だったんだなあ・・・。

事件は、迷宮入りになりそうです。危険がありお金もかかる深海の探索はそうそうできないのだろうけれど、好都合な幕引きという面もあるようなので、気の毒に思います。

成田からご挨拶2014年04月07日 22時25分49秒

成田のホテルに入りました。皆さんは日本で働いておられると思いますが、私は明日、オランダに発ちます。

今回はなぜか、劇的な出来事が起こるような気がしません。順調に、オランダ、ベルギー、ドイツあたりを旅行して参ります。国際用のルーターを借りましたので、順調ぶりをご報告できると思います。

日本でも、ここしばらく、いろいろな出来事がありました。目立つなあと思うのは、「逆ギレ」という現象です。3人ぐらいすぐ思い浮かびますが、共通点は、自分に甘く他人に厳しいという、精神構造。良くないですね。こういう世の中になると、バッハのカンタータのメッセージが光ってきます。そこでは繰り返し、まず自分自身を振り返れ、と教えているからです。

旅行前に仕事を済ませるため、緊張した数日間でした。このパターンだけは、変わりません。では、次はオランダから!

被災地訪問2014年04月05日 18時54分53秒

3月28日(木)に名取、30日(日)に南相馬と、被災地に行ってきました。「サントリー&ウィーン・フィル音楽復興祈念賞」の委員をしていなかったら得られない、貴重な機会でした。証拠写真をお目にかけます。南相馬の教育長さんに、ステージで盾を差し上げているところです。でもどうみても、私がもらっているようですね(笑)。


南相馬では、「ゆめはっとジュニア・ウィンド・オーケストラ」に元気をもらい、名取では、新実徳英さんの「つぶてソングの集い」に参加しました。震災のこと、その後の復興努力のことなどを現地の方から伺い、そこで音楽が果たしている役割を実地に体験して、とても勉強になりました。

「復興祈念賞」、まだまだ続きますので、ぜひ応募してください。サントリー芸術財団のホームページhttp://www.suntory.co.jp/sfa/fund/に説明があります。夢と希望を与える音楽企画であれば、被災地以外からも応募できます。

斬新かつチャレンジングな企画を用意されている方のためには、やはりサントリー芸術財団に、「佐治敬三賞」があります。http://www.suntory.co.jp/sfa/music/saji/index.html

第13回の今年は、「東京現音計画」と「東方綺譚」が受賞しました。応募が採択されますと、私を始めとする選考委員が、手分けをして聴きに行くことになっています。いい企画であれば、現代音楽にはかぎりません。ぜひ、ご応募いただければと思います。